【行動経済学①】公正さを求める文化に必要となるコストは?

馬場 正博

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最後通牒ゲーム

AさんとBさんの前に1万円があります。AさんとBさんはCさんにこの1万円をもらって二人で分けることになったのですが、Cさんは1万円を分けるときの条件を一つつけました。それは1万円をどう分けるかAさんが決めること、BさんはAさんの分け方が不満なら拒否できること。ただし、Bさんが拒否したら、AさんもBさんも1円ももらえません。Aさんはどのような分割提案をすべきでしょうか?

これは最後通牒ゲームというやや大げさな名前のついたゲームです。「論理的には」Bさんは分割提案を拒否してしまうと何ももらえないのですから、1円以上どんな提案でも拒否する理由はありません。つまりAさんが9990円をAさんに10円をBさんに分けるという提案をしたなら、それを拒否したら10円以下の0円の収入しかないのですから、それでも受け入れるべきです。

公正ではない相手を罰したいという欲求

最後通牒ゲームは簡単にできるので、経済学部の学生の授業の中や、数多くの実験が行われてきました。実際にはAさんが極端に自分に有利な提案を行うとBさんの側は拒否することが多くなります。分割される金額の絶対額、被験者の経済状態が影響を与えるものの、大体Bさん側の取り分が3割を切ると拒否が多くなります。また、Aさん側も自分の有利な立場を濫用した相手を怒らせるようなことはあまりなく、半分づつの分割を提案することが多いということが判っています。最後通牒ゲームは民族や年代、教育程度など様々な要素を取り換えても、結果に大差はありません。つまり、伝統的経済学が「合理的」な人間を前提としているのに対し、人間は普遍的にこのような条件では「不合理な」決断を下すのです。

最後通牒ゲームの実験から判ることは、人間は自分自身が利得を得たいという気持ちと同時に、公正ではない相手を罰したいという欲求が強いということです。たとえ10円でも何ももらえないよりマシだという「理性」より、もっと本源的に公正でない相手を罰したいという思いを進化の過程で人間は身に着けているようなのです。

物の価値に原価は関係ないはずだが・・・

最後通牒ゲームの実際的な意味として、原価と価格に対する消費者の反応があります。何か物を買うとき、価格と購入する物の値打ちが妥当であればそれでよいはずですが、利益率が9割というような話を聞くとあまり良い気持ちはしません。場合により購入自体を止めてしまうことさえあります。

高収益企業に対しては、しばしば非常に高い利益率が非難の理由になります。メーカーはどこでも製品の原価を明らかにするのは積極的ではありませんが、これは価格交渉で不利にならないようにというのと同時に、あまりに高い利益が消費者に反感を持たれないようにしたいという気持ちがあるからでしょう。

ゲーム理論で考えると、最後通牒ゲームは相手の側の得る利益が自分の損得と同じように重要だということを示しています。囚人のジレンマでいえば、自分が黙秘し相手が裏切って自白したとき、自分が重い刑罰を受けることも嫌なのですが、相手だけ裏切って得をするのが許せないという気持ちが働いて自白してしまうことが考えられます。

公正さを求める気持ちが人間に組み込まれているおかげで、無用な争いを避けられる

相手に得をさせたくない、ずるい相手は罰したいという気持ちは非常に根深いものなので、時としてそのために自分が実は損をしているということさえ忘れさせてしまいます。特に交渉を行うとき、結局誰の得にもならないのに頑張り続けて双方損をしてしまうというようなことが、合理的であるはずのビジネスの社会でも見られます。

典型的には買収合戦があります。相手の笑う顔を見たくないという、甚だ経済合理性に欠ける思いにし支配されて、お互いに値段を吊り上げて意地を張り合ってしまうような場合です。普通の商談でも競争相手と値引き合戦になって赤字を承知で受注してしまうことも稀ではありません。この一見「不合理」な人間の行動を説明しているのが、ポール・シーブライトの「殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?―― ヒトの進化からみた経済学」です。

この中でシーブライトは人類は「他人同士が信頼し協調する」という形質を身に着けることにより、経済的繁栄を手にすることができるようになったと言っています。 もし、人類が単純な合理性だけで、つまり最後通牒ゲームで自分は9,999円受け取り、相手には1円しか渡さないような行動しか取らないのなら、見知らぬ他人同士がビジネスを行うのは難しいと言うより不可能でしょう。 恐らく、人類は進化の過程の中で、お互い同士協調し一方的に利益を独占することを抑制するような態度を身に着けてきたのでしょう。このような態度はある意味「不合理」だからこそ、人は感情的に不公平な取引を憎み、自らは公平であろうとするように深く条件づけられてきたと考えられます。

確かにこのような感情は「相手に得をさせたくない」と思うあまり、無用に合併費用を吊り上げたり、「もの凄く高い利益率」と知っただけで製品の良し悪しに関わらず購入をためらうような不利益をもたらす行動にもつながります。 しかし、最後通牒ゲームで半分分けの提案が多数を占めている事実が教えてくれるのは、公正さを求める気持ちが深く人間に組み込まれているおかげで、無用な争いを避けるように人間は作られているということです。だとすれば、熱くなってとことん頑張るのも、公正さを求める文化を維持するためには避けられないコストなのかもしれません。


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馬場 正博 (ばば まさひろ)

経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。


編集部より:このブログは馬場正博氏の「GIXo」での連載「ご隠居の視点」2014年7月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はGIXoをご覧ください。