ウェイソンテスト
「最後通牒ゲーム」は人間が感情に支配されてで合理的とは言えない行動を取ることを示していました。これは、「人間は合理的に利益の最大化を目指す」という経済学の一般的な前提が間違っているという行動経済学にもつながっていきます。しかし、感情や直感で行う判断は間違うことが多く、論理的に考えた方がいつも正しい結果を得られるかというと、必ずしもそうではありません。直観の方が論理より正しい答えを導くこともあるのです。そして、今回のブログのタイトルの「ウェイソンテスト」はその例です。
片面はアルファベットが、その裏側には数字が印刷されているカードが4枚テーブルの上に並んでいて、表になって見えている面はA、F、3、4と書かれています。 今「母音の裏側の数字は偶数になっている」という規則があると言われてその規則を確かめるとしたら、どのカードを裏返してみればよいでしょうか。
(この問題を始めて見た人はちょっと考えてみてください)
まず、Aのカードを裏返してみる。これはいいですね。裏が偶数ならOkです。次にFは裏返さない、Fは母音ではないから、裏が何でも関係ありません。さて、3、4のどちらを裏返すか。もし4と思ったら、それは違います。4の裏が子音でも規則に反しているわけではありません。子音の裏側について規則は何も言っていないからです。
正解は3です。3の裏側が母音なら規則は間違っていることになります。簡単ですか?間違っても恥ずかしくはありません。このテストはウェイソン・テストといって、1966年にイギリスのピーター・ウェイソンが同様の実験(オリジナルはアルファベットではなくカードの色)を行った結果では、大半の人が間違えました。簡単に解いた人の中には、論理学の知識を使った人がいたかもしれません。論理学では「AならばB」であると「BでないならAでない」は同じで、それぞれ対偶であるといいます。対偶の考えを使えば、偶数ではなく奇数を裏返せばよいということがすぐにわかります。しかし、対偶のような論理学の定理に頼らずに考えると、数学者でも間違ってしまうことがあります。たった4枚のカードの話なのですが、これはなかなか難しい問題なのです。ところが、カードではなく設定を変えると話が違ってきます。
人間は抽象度が高い問題を直感的に解決することは苦手
酒場に4人の若者がいて、飲み物を飲んでいます。アメリカでは飲酒年齢に達しているかどうかわからない場合はIDの提出を求めるのですが。4人の若者はそれぞれ、
・ビールを飲んでいるがIDカードの年齢は見えない
・ジュースを飲んでいるがIDカードの年齢は見えない
・ IDカードは飲酒年齢に達していないが、何を飲んでいるか見えない
・ IDカードは飲酒年齢に達しているが、何を飲んでいるか見えない
このとき、飲み物、IDカードの年齢を確かめなければいけないのは、どの若者でしょうか。これはすぐにわかりますね。ビールを飲んでいる若者のIDは要チェック、ジュースを飲んでいる若者は調べる必要がない。
次に誰の飲み物をチェックするかですが、IDで飲酒年齢に達している若者は調べる必要がない。当然でしょう。ということで飲酒年齢に達していない若者の飲み物を調べる。ジュースならOk、ビールならアウトです。
これはとても簡単な問題ですが。実はビールを母音、ジュースを子音、飲酒年齢に達しているのを偶数、達していないのを奇数と考えると、最初のカードの問題と全く同じ問題なのです。
どうして、カードの問題は大半の人が間違える、あるいは対偶のような論理学の助けが必要なのに、酒場の問題はあっさり直感的にわかるのでしょうか。はっきりしているのは、酒場の若者の飲酒年齢の問題と比べると、カードの母音、偶数の問題は抽象度が高くなっているということです。
酒場の問題では文脈的に実生活と結びつけて考えることができる(言われなくてもそうしてしまう)のに、カードは結びつける実生活はないので、論理的に考えるしかありません。人間は(たとえ数学者のように数学が得意な人でも)、抽象度が高い問題を直感的に解決することは苦手なようなのです。ダニエル・カーニマンは「ファスト&スロー」という著作の中で、人間の思考には「直観」による高速な思考システム1と「論理的」で遅いシステム2の二つがあると述べています。ウェイソンテストが難しいと感じるのはカード、母音、偶数という道具立てが速度の遅いシステム2の思考回路を起動させてしまうからだと考えられます。これに対し、日常生活に根差した酒場での飲み物の問題はシステム1が起動されているので直観的で素早い判断が可能になっています。
ウェイソンテストではシステム1はシステム2より速くしかも正しい結論を導き出しました。もちろん、実際にはシステム1は直感で判断することで、間違った判断をしてしまうことはいくらでもあります。「気に入った」という気持ちで買ったものが、使用頻度、価格、他の代替手段をきちんと考えれば全くの無駄遣いだったという経験は誰にでもあるはずです。しかし、ウェイソンテストではシステム1はシステム2に速度だけでなく正答率でもはるかに優れた結果を出せることがあることを示しています。プロの将棋指しは指し手を考える時、可能な何千手を全て検討するようなことはせず、むしろ直感で次の一手を決めることが多いと言います。あるいはベテランの経営者が数値を駆使した事業モデルの評価より正しい結論を下すことも稀ではありません。
おそらく進化の過程あるいは人生経験の中で、いくつかの重要な問題はパターン化され論理的に手順を追って考えなくても結論を導き出せるように人間は作られているのでしょう。何でも直観に頼り、理屈や論理を軽んじる態度は危険ですが、ある種の問題に対しては直観でものごとを正しく判断する能力を人間は備えているのです。
編集部より:このブログは馬場正博氏の「GIXo」での連載「ご隠居の視点」2014年8月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はGIXoをご覧ください。