天皇陛下の退位ご意向、そのお気持ちは如何に。。②

その1から続き

では、意に沿わない上奏を裁可したということで、まったくその責任を負わないとしてよいのでしょうか。大日本帝国憲法下では天皇は軍のトップでしたが、軍事的な意味でどこまで状況を把握していたのか、また、その関与の度合いはどの程度もので、責任を問われないようなものだったのでしょうか。米国の日本史研究者であるケネス・ルオフ氏は著著「日本の天皇」の中で、天皇は、大臣等から天皇への報告である内奏で状況の把握、確認をし、その中で意見してのではないか、つまり、軍事的な面での一定の関与もあったと考えています。このようにするなら、その責任がまったく無いということは難しいように思います。

終戦時、昭和天皇をはじめ、政府関係者、軍部首脳、国民には、国内外の惨状をもたらした戦争、敗戦という結果を鑑み、何とか戦争としない方向性や早い時期に終わらせることが出来なかったのかとの思いや考え、同時にそれぞれに敗戦、戦争に対する自責の念があったのではないでしょうか。当然、戦争に勝利した連合国側にも、軍部だけでなく天皇の戦争責任を問う声がありました。しかしながら、天皇の戦争責任を問わないという形は、占領統治を成功させるために昭和天皇の威光を利用したいマッカーサー元帥と天皇制の伝統を維持したい天皇自身並びに日本国民とがお互いに理解し得る捉え方ではなかったかと思います。

では、昭和天皇ご自身はどのように考えておられたのでしょうか。終戦直後、昭和天皇はマッカーサー元帥との会談で、自らの戦争責任を認め、退位も辞さない意向とその代りに国民の窮状への助力を求めています。(「侍従長の回想」「マッカーサー回想記」より)その後、新しい日本国憲法が施行され、東京裁判の判決の頃、昭和23年になると戦争責任についての明言を避け、退位しない意向をしめされるようになります。8月の豪州記者との会見で退位について質問を受けると「問題はデリケートだから意見を述べたくない」とし、11月には、「個人的には退位お考えるが、公人としての立場がそれを許さない。。。退位することも責任を果たす一つの方法と思うが留位して。。日本再建のためにつくすことが先祖に対し、国民に対し、またポツダム宣言の主旨にそう所以だと思う。」と述べたということです。(「朝日新聞」より)

これらのご発言等を真とするなら、新憲法下、象徴天皇となった昭和天皇には、政治的な意味を含むことになる戦争責任の言及とそれを追う意味の退位は、しようにもできない状態にあったのではないでしょうか。自責の念と象徴天皇というお立場との葛藤があったのではないかと推測致します。

そして、この度、天皇陛下は退位というご意向を国民に示されたのではないでしょうか。昭和天皇が成し得なかった退位を戦後70年を経て今やっと実行しようとしているのではないかと思います。同時に国民に向けて、戦後の一つの節目として、先の大戦を改めて国民自らが考えるように示されたものではないでしょうか。