先日、フリーアナウンサーの長谷川豊氏の書いたブログ記事が大きな波紋を呼びました。
「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」
(リンク先:タイトルは修正済)
炎上はネット内だけにとどまらず、とうとう氏は地上波レギュラー8本すべて降板するところまで追い込まれています。
件の記事内容についてはいろいろな人が解説しているのでここでは触れませんけども、氏の炎上から地上波レギュラー全降板にいたるまでのプロセスはいろいろと衝撃的でしたね。炎上の規模、取引先への延焼のスピード等、近年まれにみる炎上ではないでしょうか。
なぜ、キー局を追われた男は、不死鳥のごとくよみがえり地上波8本レギュラーを手にするまでになったのか。そして、なぜ男はわが身を焼き尽くすまでに炎上してしまったのか。そのプロセスをひもとくことは、多くの人のキャリアデザインにとっても意義あることでしょう。
やっちゃいけないこと てんこ盛りの謝罪文
ここで氏の略歴を振り返ってみましょう。氏は2013年にフジテレビを退社し、フリーになりました。その経緯はよくわからない点が多いのですが、事実としては、キー局の第一線のアナウンサーであった氏が突然アナウンサー職を解任され、事務部門に異動させられた、そしてそれは事実上の戦力外通告にひとしく、実際、氏は自ら退職してフリーになったということです。要は、組織と何らかの対立があり、職を追われたということです。
さて、フリーになった後は鳴かず飛ばずになるアナの多い中、氏はここから急ブレイクし、他局のニュースキャスター職に抜擢されるまでになります。その理由ですが、毒にも薬にもならないことしか言わない飼い殺し局アナと違い、ざっくばらんに本音を披露したこと、普段出てこないような既存メディアの内部事情を初めて公にしたことなどが理由でしょう。そういうノリを“炎上芸”と呼ぶ人もいますが、筆者はそれはそれで立派な個性だと思いますね。正社員と違い、リスクをとっているからこそ、はっきりと自分の意見を言うことができたんでしょう。
ネットは、とかくテレビや新聞などの既存メディアに対して批判的です。メディアは自分たちの意見は取り上げない、メディアは自分たちを無視している……etc
そんなメディアの殻を突き破って彗星のごとく現れ「テレビじゃあみんな綺麗事しか言わないけれども、俺はこう考えてるんだぜ」と本音をばしっと言ってくれる氏は、ネットととても親和性の高い存在だったわけです。ブログやメルマガ、ストリーミング放送といったネット空間で得た存在感をロケット推進装置として、氏は地上波の世界へ再進出していくことになります。
でも、ネットと地上波の両方で存在感を発揮するキャリアパスというのは、非常に狭くて危なっかしいものです。たとえば2ちゃんに書いてあったことを実社会で嬉々として語ると相当痛い人と思われてしまいますが、そういうネタをネットと実社会の双方に説得力ある形で語れないとやっていけないわけです。これは相当難易度の高いスキルだと思います。
先行モデルとしては、元経産官僚の古賀さんがいい例です。“伏魔殿”たる霞が関から飛び出し報道ステーションレギュラー枠を勝ち取るまでにブレイクしたものの、バランス取りに苦労した挙句に報ステからリストラ、生放送で逆ギレした挙句に「政府とテレ朝上層部のせいでワタシはクビになります」とやらかした彼です。
今回の騒動のきっかけとなった長谷川氏の元記事を見るに、ぎりぎりでバランスとろうとしつつ超えちゃいけない側に踏み外してしまった感があります。たぶん氏もバランス取りに相当苦労したんではないでしょうか。
ただ、筆者はむしろ、氏が本当に下手をうったのはここからだと見ています。
「あくまで病院の先生方の忠告をことごとく無視し、それでも長年にわたって自堕落な生活をしてきて、その後に透析患者にまでなった患者に対して「のみ」話しているのです。よく読んでください。明確にそう書いてあります。
しかし、世の中には、歪んだ正義感を振りかざす、ネット上でしかうっぷんを晴らすことのできないバカが田舎の公衆便所の小バエのごとく、大量にいます。そいつらが、ここまで悪質なツイートや拡散をしてくるとまでは、さすがに予想の範囲外でした」
余りの低レベルな言葉狩りに戸惑っています(9月24日ブログ記事)より
「そして、ネット上のみんなも、ちょっと聞いてほしい。
乗っかって、僕を叩いて、
ご覧のように僕はテレビの仕事を失いました。
これでみんなに何か残ったか?
君らに何かプラスがあったか?
君らがネットにうっ憤を晴らすしかできなくなったのは、社会のせいじゃない。君ら自身の性格や努力不足のせいだ」
ありがとう(10月6日ブログ記事)より
ちょっとこんな光景を想像してみてください。キー局を追放されながらも、ネット民に担がれた神輿に乗って不死鳥のごとく地上波に舞い戻り、快進撃を続けている長谷川氏。そんな時、ふと担ぎ手の一人がこう言います。
「大将、さすがに今度のはちょっと下手うったんじゃあないですかい?」
「ネットの連中なんていうのはネットでしかうっぷん晴らしできない公衆便所の小バエみたいなのだからどうでもいいんだ。あ、公衆便所つってもお台場とかじゃなく田舎のやつね」
→神輿かついでたネット民、神輿を放り出して近くの草むらに逃げ散る。
放り出されたハッセー、呆然としつつ、とりあえず謝る。
「へん、ああ、悪かった悪かった。でもオイラは地上波8本も出てるエリートだからどうってことないさ。おまえらがネットしか居場所がないのはお前ら自身の自己責任だろ」
→草むらの中から石がいっぱい飛んでくる。
反・既存メディアのヒーローとして担ぎ上げられていたはずの氏が、いつのまにやら「やっぱ地上波は凄い。それに週8本出てるオレはもっと凄い」「ネットの奴らなんて他に居場所がないだけの連中」なんて言ったらダメでしょう。しかも二本目の記事タイトルが「ありがとう」って言うのが泣かせます。タイトルで持ち上げといてオチで大ダメージ狙ってるとしか思えません。これで一気に抗議者が増える一方、氏を支えてきたネット上の存在感が薄れることで既存メディア側も見切りをつける流れになったように見えます。
あ、書いててふと気づきましたが、なんだかクモの糸のカンダタみたいですね。
以降、
問題提起と謝罪、突っ張っていいのはどちらかだけ
「月100時間残業くらいで死ぬのは情けない」という長谷川センセイのケース
編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2016年10月14日の記事より転載させていただきました(アイキャッチ画像は長谷川豊氏のブログより)。快く転載を許可してくださった城氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。