鳥取県のある限界集落で、3年前から町おこしの取り組みとして行われている産業用大麻生産・加工プロジェクトの法人代表者が大麻不法所持で逮捕されたという。
このプロジェクトは、約60年前まで当該地域で行われていた、産業用大麻生産・加工を再興、限界集落の活性化を目的として開始された。そして、この取り組みには、県外からの移住者が代表者となる産業用大麻生産・加工会社が設立され、同社に対し、県以下の自治体がこれまで約3年間の間、補助・助成金拠出金の数百万円の他にもフルサポートで支援をしてきたという。また、県外からも限界集落の可能性を秘めた取り組みとして高く評価されるなどもあり、その栽培面積は当初面積の数十倍まで拡大したという。
しかし、一方でこのプロジェクトの視察に訪れる全国からの来訪者の中には、怪しげな人も少なからず姿を見せていたという。これらに対し地元住民の多くが危うさを持っていたというのだ。まさに、容易に想起出来るリスクを見事なまでに具現化させてしまった、あまりに陳腐なお話しである。
「ヒトも産業も不足する日本の地方の過疎地や限界集落を活性化するために」
政府もチカラを注ぐ地方再生・創生の題目でもあるが、これらは、過疎地方や限界集落に対する、国や地方行政の甘い判断と対応が生み育てる、最悪のシナリオに繋がる可能性も孕んでいるのだ。
そもそも、麻薬に類する原材料生産を、何の経験もない一般人に許可を与え栽培させるなど、常軌を逸しているとしか思えない。また、この限界集落の中で厳重な警備や管理が出来ると判断した根拠が全くもって見いだせない。このプロジェクトの導入をサポートした行政の関係者たちの無責任さには、もはや辟易するしかない。鳥取県とこの地域は、代表者であるこの37歳のニート男に何を期待したのであろうか?
大麻とは、主に繊維原材料と医薬原材料の2つの需要が存在する。
大麻はもともと自生植物であり、いわば、タダで生えてくる雑草みたいなものである。現在は途上国でその多くの生産と一次加工が施され、二次・三次加工国や消費国に輸出されていく。ちなみに、日本国内での生産は、30年以上前に、将来に亘る途上国とのコスト競争への判断から、国としても完全に撤退を余儀なくされ、現在は、ほぼ消滅然としている。
また、原材料品質についてだが、元々自生であるため、どこで作ろうが、水も肥料も一切不要の全てが完全オーガニックなのだ。よって、その後工程の加工や化学の技術だけが重要なのであり、どこで生産されようが、原材料品質には何ら関係はないのだ。そこには日本の農業の知や技を必要とする場面はなく、さらに国内にはコストを回収できる市場も存在しない為、日本で栽培する価値は皆無と言っても過言ではないであろう。
今回、鳥取県がこの取り組みを選択してしまった背景のひとつには、最近の健康ブームにより、一部嗜好者の間で真偽は不明であるが、食用や美容用品としての効果が話題になっていることなども挙げられるだろう。
しかし、安易にこういう案件に行政が飛びつくというのはいかがなものだろうか? 非専門の個人や企業が新規事業として参入することで、新たな発想やイノベーションが生まれる可能性については否定しない。しかし、麻薬に類するものは、世界の歴史上においても国家存亡の危機に繋がるリスクが多分に存在するのだ。
現在の世界の麻薬生産地域の多くは、山間や過疎・限界集落といった産業不毛地帯である。
そして、その生産に携わる人達の多くが貧困であり、老人や女性、そして子供たちである。
我が国の現在と将来において、喫緊の対応が必要であるはずの超高齢者化社会と東京一極集中への対策に、浅慮短絡的に過疎地や限界集落に無理に産業を構築しようとしたならば、南米やアジアの山岳地方のような巨大な麻薬生産地帯に変貌する可能性も充分あり得る話しなのだ。
仮に、そんな環境が万一出来上がってしまったとしたならば、もはやそれを自国や自国民の手によって元に戻すことは極めて困難な状況になるであろう。何故かと言えば、「彼らにも生活があるのだ」という全否定しきれない、人権擁護的理屈を生じさせてしまうからだ。
現在、世界の麻薬生産地帯で生産に携わる人たちは、あくまで農業生産に従事している訳であり、麻薬の原料となるもの生産していることは認知しているであろうが、その罪の意識は極めて薄いものであろうと推測される。
日本の現在の過疎・限界集落の状況と麻薬生産地域の状況には多くの点で類似点がある。
地方再生・創生対策は、これまでの生活人口移住や産業再構築といった対策から、一度思考を切り替えるべきかもしれない。自然な潮流を逆に向ける事は正しいとは言えないのだ。
本元 勝
東京商業支援機構 消費者市場調査コンサルタント