SMAP香取慎吾引退説をめぐって やめる自由を否定してはいけない

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香取慎吾引退説をヤフトピで知る。ソースは東スポだ。あくまで説なので、真相は分からない。書かれている内容も、よくある芸能報道である。公式にアナウンスがあったわけではない。最も、SMAP解散の時も「どうせガセだろ」と思っていたら本当だった。何があるのかは分からない。Twitterのトレンドにも入っていて、残念だという声が並んでいた。私も香取慎吾にルックスもキャラも似ていると言われたので、まるで同僚が退職するかのような気分だ。こち亀終了により、何か思うところがあったのかもしれない。しかし、「残念だ」という気持ちは理解するし、これがもし事務所など大人の事情での引退(あるいは、いったん引退)だったら別だが、ここは本人の意志を尊重するべきではないか。辞める自由というものがあるのだ。

ファンの気持ちはよく分かるが、ここまでの大御所になると、ファンもまた呪縛である。SMAP解散の報を聞いた時に「解き放たれた感覚」だと思ったのは、これで自由になれる、逆にSMAPらしさを取り戻せるとすら思ったからだった。あくまで噂レベルではあるが、香取慎吾のこの意思決定も、もし本当だったとするならば、残念だと思うのは結構だが、応援するべきではないか。

これからの進路は分からないし、なんせ本当に引退するのかすら不透明ではある。ただ、10代から芸能界に入り、最初の数年はともかくその後、売れ続けてきただけに、一般の世界に戻るというのも大きな決断である。そこでのギャップに苦しむこともあるだろう。それも含めて覚悟したとしたならば、応援してこそファンではないか。

豊かな世の中とは、多様な選択肢と、可能性がある社会だと思っている。実際は多様性と、可能性を装った社会がすでに出現してしまっているのだけれども。一億総活躍だの、働き方改革だの、自由な生き方だのが叫ばれる中、香取慎吾が引退することを応援できない社会もまた、従来の型にハマってしまっているのではないか。ここで、多様性論者の矛盾が明らかになるのだ。

幼い頃から、神童と呼ばれつつ、クラスでずっと一番カッコイイと言われてきた者として、彼の生き方には共感する。というわけで、香取慎吾が引退するとしたならば、それはそれで応援するのが筋ではないか。もちろん「ロックバンドの解散とプロレスラーの引退を信じてはいけない」という言葉もあるとおり、芸能人の引退も信じてはいけない。とはいえ、彼が「やはり私は芸能人なんだ」と覚醒したならば、暖かく「おっはー」と叫び迎えようではないか。彼の言葉を待つことにしよう。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2016年11月6日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像はテレビ朝日「SmaSTATION!」番組サイトより)。転載を快諾いただいた常見氏に心より感謝申し上げます。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。