“凍った時間”を動かすのは誰?

7日は旧日本軍による真珠湾攻撃75年目に当たる。オバマ米大統領は特別談話を発表し、「最大の敵国が今日、緊密な同盟国となった」と述べ、真珠湾攻撃から75年の年月が両国関係を激変させたと語った。同大統領は今月末に安倍晋三首相とともに真珠湾攻撃の犠牲者への追悼式典に臨む。

日米開戦の切っ掛けとなった真珠湾攻撃に対してはさまざまな説がある。米国側は旧日本軍の真珠湾攻撃を事前に知っていたと主張する戦争歴史家もいる。

当方は真珠湾75年目の式典関連の写真を見た時の個人的な感想を書きたい。遺族関係者かもしれない。涙を流していた。75年前の出来事に対して今も熱い涙を流す米国人の姿に、当方は正直言って戸惑いを感じた。

オバマ大統領はその談話の中で75年の年月が日米関係を変えたと述べた。同大統領には75年という時が経過した。そして、両国関係は幸い同盟国となった。それでは、写真でみた米国人の涙はどのような意味があるのだろうか、と考えた。

日本は隣国・韓国と慰安婦問題を抱えている。韓国政府は政権が変わる度に、日本側に謝罪を要求してきた。慰安婦の女性たちは涙し、日本側の蛮行を批判してきた。彼女たちは必死に当時のことを忘れないように努力しているように見える。あたかも、時間が凍って動かないように。

悲しみや痛みは数値では表現できないし、相対化できない。多分、時間ですら癒すことができない痛み、悲しみはあるのだろう。しかし、時間は決して無能ではない。年月は確実にその形跡を残す。美しい女性の顔にも年月は刻み込まれていくようにだ。それは時として酷なことかもしれない。

時間の経過とともに、歴史的出来事が独り歩きし、事実とは異なった展開をしていくことを私たちは目撃してきた。南京大虐殺事件を想起するまでもないだろう。もはや再現し、検証できないことをいいことに、さまざまな歴史的解釈が後日、展開されてきた。その内容は50年前、70年前に実際に起きた史実とは全く異なることも少なくない。歴史は常に現代に生きている人間によって解釈され、利用されてきた。

75年前の真珠湾攻撃に涙する米国人、そして旧日本軍の蛮行を涙しながら訴える慰安婦、彼らの涙は一種の感傷に過ぎないのだろうか。それとも単なるパフォーマンスだろうか。そうではないだろう。悲しみの共通の耐久年数など存在しないからだ。

しかし、時間は確実に動いている。国家関係、民族関係、個人関係もその時間の経過とともに変わっていく。時間よ、止まれ、と叫んだとしてもダメだ。時間を止めて、その出来事を評価したり、糾弾することは止めるべきだろう。時間を解放し、その役割に委ねるべきではないか。

オバマ大統領は真珠湾攻撃の犠牲者を追悼する一方、日本側に謝罪を要求しないことを示唆した。不幸にも時間が凍ってしまった場合、それを溶かすのは歴史家ではなく、やはり政治家の役割だろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年12月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。