ムーアの法則の終焉により、エンジニアにとってもゲームのルールが変わった

竹内 健

先週、電子デバイス分野のフラグシップの学会であるIEDM(International Electron Devices Meeting)に参加してきました。

以前のIEDMと言えば、トランジスタの微細化の話ばかりでしたが、ムーアの法則が終わりつつある現在、発表される論文の分野が随分変わりました。

医療向けのセンサであったり、機械学習を高速化・低電力化する技術であったり、脳の機能を模擬した脳型LSIであったり、多種多様な応用に向けたLSIの技術が発表されました。

ムーアの法則が続いていた時には、トランジスタを小さく作る、高速化することでCPUを高速化・高集積化したりメモリを大容量化するなど、共通のゴールに向かって世界中の技術者が凌ぎを削っていました。

そうした技術開発もまだ残ってはいますが、それに加えて今では各人がそれぞれ自分が決めたゴールに向かって走り出していると感じます。

IEDMで会った大学の研究者の多くが研究分野を変えていました。分野を変えなければ、研究費を確保することが難しかったのでしょうね。

分野を変えてうまくいった人だけが生き残り、(旅費を工面して)学会に参加できているのかもしれません。

知り合いの研究者と会っても、「どうしてお前、そんな研究やってるんだ?、全然違う分野なのに成果を出して凄いね」、「いやうまくやっているように見えても実際は大変でね・・・」といった苦労話になります(もちろん英語で)。

世界の半導体産業の競争の中で凋落した日本に居ると、半導体デバイスから研究分野を変えるのは、当たり前です。

そうでなく、半導体産業の競争に勝ったアメリカや台湾などでも、ムーアの法則が終焉することで、ゲームのルールが変わってしまったのです。

その結果、技術者・研究者も分野を変えざるを得なくなった。

例えば、元々CPUなどロジックLSIの専門家だったエンジニアがメモリの研究に移り、そしてメモリスタなどのメモリデバイスを使った脳型LSIの研究に移る。

ムーアの法則が続き、将来の技術のロードマップを描けていた頃は、研究開発も縦割りに細分化され、その道のスペシャリストとして専門分野を極めることが技術者・研究者にとって重要でした。

ところが今では、自分が持っているコアとなる強い技術を活かせるゴールを探し、目標を定める。そして、ゴールに到達するために、ハードのみならずソフトの開発も行ったり様々な分野の専門家を巻き込み、プロジェクトを運営する能力が重要になっています。

ロードマップができていない新しい分野では、単に画期的なデバイス・ハードを作っただけでは、最終的なユーザーに使ってもらえません。

新しいハードを使いこなすソフトやインタフェースの規格を自ら作ったり、ソフトの研究者を巻き込むことが必要になります。

新しいアプリケーションを目指す場合は、まさに違った土俵に登る必要があります。例えば医療向けのLSIを開発するのであれば、実験を行うにしても個人情報保護やセキュリティ、倫理面など様々な問題を克服しなければいけません。

ムーアの法則の時代では直線を速く走る能力が必要だったのに対し、ポスト・ムーアの時代では、障害物競走、あるいは道なき荒野を自ら切り拓き、サバイブする能力が必要になった、と言えるかもしれません。

日本の半導体産業では、経営がマズかったから負けたけれど技術では負けていなかった、というようなことも言われます。

それも間違えではないのでしょうが、ムーアの法則の終焉は、私たちエレクトロニクスのエンジニアにとって、ゲームのルールが抜本的に変わることを意味していると感じます。

こうした変化をプラスに考えると、巨額な投資が必要な大規模な組織戦から、比較的小規模な投資の個人戦、エンジニアの個性や能力がそのまま結果につながりやすくなった、と言えるかもしれません。

集団で研究開発することが苦手だったり、大組織の中に埋もれていた個性的な技術者・研究者にとっては朗報かもしれませんね。


編集部より:この投稿は、竹内健・中央大理工学部教授の研究室ブログ「竹内研究室の日記」2016年12月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「竹内研究室の日記」をご覧ください。