提出された液体が本人の尿だと確定できなかったためにASKAが無罪放免になったことに関して、検察はお茶をお茶だと認めたのだろうから、検察はよくやった、と評価すべきだろうと書いておいたことがあったが、どうやら私の記事を真に受けてしまった方がおられたようだ。
霞が関文学があるのと同じように、実は早川文学というのもある。
表面だけサラッとなぞると何の変哲もない普通の文章なんだが、何となく違和感が残るように書いているものもある。
お茶をお茶だと認めだけで、なんでそんなに検察を褒めるのかしら。
当たり前でしょう。
普通は、そう言いたくなるはずだ。
その辺りの違和感が残るように書いたつもりだ。
なんでこんな当たり前のことを早川さんは書くのかしら、と思ってくれる人が一人でも現れてくれればありがたい。
色々考えると、ASKA無罪放免事件は実に不思議な事件である。
ご本人はお茶をスポイトに入れて、スポイトから出した液体を自分の尿として警察に提出したと言う。
お茶に覚せい剤が入っていたとは考えられないから、普通はお茶から覚せい剤反応が出るはずがない。
しかし、科捜研の鑑定ではASKAの尿として提出された液体から覚せい剤反応が出たと言う。
ASKAは、科捜研には何の問題もない、と言っているようだ。
その一方で、自分が尿を提出したら間違いなく自分は終わりになる、と思っていたとも言う。
自分は絶対に覚せい剤を使用していない、と言い張りながら。
これ、不思議でしょう?
検察は、どうしてもこの不思議を解明する責任がある。
私が検察はよくやった、と言ったのは、皮肉である。
私からよくやった、などと言われて担当の検察官は冷や汗が出たのではないか。
まあ、それ以上は書かないが、誰かがこの謎を解き明かす必要がある。
私の記事に何の違和感も感じなかった人は、些か鈍感である。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年1月3日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像はASKA氏のアルバムより)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。