ポピュリズムは危険である(渡瀬さんへのコメント)

池田 信夫

今年はよくも悪くも、ポピュリズムの年になるだろう。そこでポピュリズムの専門家(?)である渡瀬裕哉さんの記事にちょっと気になった点があるので、コメントしておく。

彼のポピュリズムについての理解はおおむね私と同じだが、彼がハイエクを参照しているのは逆である。ハイエクは民主主義(ポピュリズム)をきらっており、『法と立法と自由』では、デモクラシーではなく法の支配こそ近代社会のもっとも重要な制度だと書いた。

これは国家が正義を決める実定法(legislation)とは違い、ヒューム的な慣習の中から立ち上がってくる自生的秩序としての法(law)である。これに比べると議会制度は本質的ではなく、ハイエクは議会がポピュリズムに走ることを防ぐ「元老院」のような制度を考えていた。

これは政府をコントロールするしくみとしてはデモクラシーとは逆で、朝日新聞の好きな立憲主義に近い。次の図で「行政」は、アメリカでは大統領(と官僚機構)、「立法」は議会だ。大統領を国民が選挙で下から選ぶのがデモクラシーで、上から主権者たる国民の代理として議会がコントロールするのが立憲主義(法の支配)だ。


憲法の建て前では議会(立法府)が行政をコントロールするが、それはうまく機能しなくなった。立法で行政をコントロールするには、現代社会はあまりにも複雑なので、どこの国も行政国家になりつつある。

この矛盾は株式会社(公開企業)の問題と、理論的には同じだ。図の「立法」には会社の主権者としての株主が入り、彼らは株主総会で議決権を行使して経営者の「行政」を支配するはずだが、数十万人の個人株主は経営者をコントロールできない。

こうした行政国家への苛立ちによって生まれたのが、ポピュリズムである。それは立憲主義なきデモクラシーだが、合衆国憲法はきわめて立憲主義が強く、大統領には拒否権しかない。だから本来の意味ではトランプはポピュリズムとはいえないが、大統領の実質的な権限は大きい。

それはトランプが彼の不動産会社を経営したのと同じ手法で、意思決定が速く責任の所在が明確だという点で合理的だ。しかしトランプが4回も破産したことでわかるように、こういう国家の民営化は危険である。企業の場合は取引をやめて退出できるが、国家を退出するには大きなコストがかかる。

これを最終的に解決する方法は、中世のような都市国家に戻って退出できるようにすることだ。もちろんそれは今は不可能だが、100年ぐらいのスパンで見ると、ポピュリズムは「主権国家」という20世紀に完成した出来の悪い統治機構の終わりの始まりかも知れない。アゴラ政経塾「ポピュリズムの時代」では、そういう歴史的な視野からみなさんと議論したい。