中国の国債先物市場に昨年10月あたりから異変が起きているとロイターが報じている。昨年11月の5年債と10年債の先物の取引高は8200億元と前月から倍増。さらに12月は過去最高の1兆7700億元へと2倍に増えて、わずか3か月間で4倍に膨れ上がった。1月も旧正月の連休があったにもかかわらず、約1兆2000億元と高水準を維持しているという。
現在のかたちでのデリバティブ、つまり金融派生商品が登場したのは米国のシカゴにおいてである。ニクソン・ショックを経て、1972年にシカゴ商業取引所(CME)で通貨先物取引が開始された。1975年にはシカゴ商品取引所で初めて金利先物が上場され、こののち金融の世界にもデリバティブ取引が世界的に広がって行くことになる。シカゴで始まった先物取引は、江戸時代における日本の大阪(大坂)の堂島における米の先物市場が参考にされたとされる。
1985年10月に日本において戦後初の金融先物市場として東京証券取引所に上場したのも長期国債先物(債券先物)取引であった。米国に続いて英国そして日本、ドイツ、フランスなどの先進国が国債先物を相次いで導入することとなった。1998年のアジア通貨危機後は、危機によって損害を被った韓国やシンガポール、香港、台湾などの国・地域で国債先物取引が次々と導入される。
中国も1992年に国債先物取引を導入していた。しかし、市場環境の整備が十分でなかったことなどから、1995年2月23日に上海証券取引所で巨額の決済不履行が発生し、取引が停止に追い込まれた。この事件は先物の対象銘柄番号から「327事件」と呼ばれた。
その後の中国の国債発行額は年々増加し、規模はアジアで2番目となってきた。市場も整備され、1996年以降は中国において金利の市場化に向けた改革も進展した。このため中国金融先物取引所(中金所)は国債先物取引を2013年9月6日に再開したのである。
再開したものの、中国の国債利回りが低迷していたことでヘッジの需要は弱く、商いがさほど盛り上がってはいなかった。ところが昨年、中国政府が金融政策を引き締めに転換し、中国の国債利回りが3年ぶりに底を打った格好となったことで、国債先物の取引も盛り上がってきた。
ただし、この中国の商いの急激な増加の主役は個人とされる。日本の債券先物取引は1985年のスタート当初こそ個人の参加がみられたが、現在はほとんど個人は参加していない。個人向けの債券先物のミニ取引も低迷している。それに対し中国では個人が投機的な目的で参入し、その分、価格変動も大きくなっているものとみられる。
個人が債券先物取引に参入することは決して悪いことではなく、債券先物取引の裾野を拡げるためにも必要と思う。しかし、個人が先導して国債先物取引を行っているというのは、やや危うい面も感じざるを得ない。
編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2017年2月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。