「幕府」も「天皇」もやめよう(八幡さんへのコメント)

八幡和郎さんの意見に賛成である。「太平洋戦争」という名称には日米戦争を中心にするバイアスがあり、最大の戦場だった中国大陸を無視しているのでよくない。他方これを「15年戦争」と呼ぶのも、バラバラの戦争を一貫した「侵略戦争」として描くバイアスがあって感心しない。

「大東亜戦争」は東條内閣の命名であり、「大アジア主義」のバイアスがあるが、地理的には正しい。もっと中立なのは読売新聞の「昭和戦争」だが、私は大東亜戦争でもいいと思う。今どき、それを真に受けて軍国主義に走る人はいないからだ。朝日新聞だって、まだ旭日旗を使っている。

こういう非歴史的な名称をやめる方針を徹底すれば、「幕府」は明らかにやめるべきだ。渡辺浩氏も指摘するように、徳川家が幕府という言葉を使った事実はないからだ。それは後期水戸学の使い始めた皇国史観によるもので、「皇室の地位を簒奪した成り上がり者」という価値観を含んでいる。

同じ理由で、江戸時代以前に「天皇」を使うのはおかしい。少なくとも順徳天皇(~1221)から光格天皇(~1817)まで、天皇という語は正式に使われなかったからだ。在位中は「禁裏」とか「天子」と呼ばれ、没後は「**院」と呼ばれた。すべての「院」に遡及して「天皇」という謚がつけられたのは1925年である。

これは些末な問題ではなく、日本人の脳内に残っている長州バイアスを中立化するためだ(もとは水戸学だが)。日本という「国家」が神武天皇の昔から存在して「朝廷」がそれを統治していたというのは、長州閥が政権奪取を正当化するためにつくったフィクションだが、教育勅語などで国民に植えつけられ、いまだに教科書にもマスコミにも残っている。

これは歴史的事実の問題であり、右翼とか左翼とかいうイデオロギーとは関係ない。私は朝日新聞やガラパゴス憲法学者を軽蔑しているが、靖国参拝を閣僚の使命と思っている無知な政治家は笑うしかない。これはpolitical correctnessでもなく、「インディアン」という事実誤認を改めてnative Americanと呼ぶのと同じだ。歴史は当時の人々の立場で見るのが当然である。