OUTRAGEの30周年記念ツアーに行ってきた。結論から言うと、凄まじいライブだった。彼らのキャリアの中でもベストのライブの一つではないか。少なくともこの10年の中で最も優れたライブだった。いや、海外のバンドを含めここ数年見たバンドの中でベストではないか。「鬼気迫る」という言葉が相応しい演奏だった。
「今日のライブは、生きるか死ぬかの闘いになりそうだ」という普段以上の覚悟を妻に伝え、ライブに向かったのだが、会場の新宿ロフトは超満員で、途中までは後ろの方で見ていた。しかし、代表曲の一つ、”MEGALOMANIA”のイントロが流れた瞬間、いてもたってもいられなくなり、前の方へ。モッシュピットでは老若男女のファンが大暴れしていた。非常事態宣言とも言えるような、狂乱の宴だった。暴徒化したファンをさらに煽るメンバーもまた過激派そのものだった。2時間半にも及ぶライブは神がかっている時間だった。まさに、バンドとファンがつくりあげてきた暴動の軌跡の集大成だった。
本題はここからだ。「全盛期」という言葉について考えてみたい。「全盛期」とはいつだろうか。それは、何だろうか。とりあえず、全盛期でググってみた。
人気・勢力・実力などが、もっとも盛んな状態にある時期。「武士の全盛期」「全盛期を過ぎた選手」
出所:デジタル大辞泉
結果を見て、拍子抜けした。「全盛期」というものの、辞書の定義は、極めて曖昧だ。「人気・勢力・実力などが」と書いてあるが、これがandなのかorなのかすら明確ではない。orのニュアンスのように見えるが、「人気」の「もっとも盛んな状態」と、「実力」のそれはイコールではない場合もあり。実力は落ちていても、人気が絶頂という場合をどう見るか。まあ、いい。自分の評価と周りの評価のズレもある。時に全盛期という言葉はマイナスの文脈で使われる。あの頃は全盛期で今は違うと決めつけ、自己暗示的な停滞を誘導したりもする。本人の実力による部分と、周りの環境による部分があり。ムーブメントがあれば、誰でもそこそこ目立ってしまったりもする。・・・バンドブームはもちろん、若手論壇ブームなんてのもあったなあ。いや、あったのか。
昨年、プロレスレポーターの三田佐代子さんと対談した際も、「全盛期とは何か」という話で盛り上がった。
「プロレスブーム」が再来した本当の理由 誰でも受け入れる土壌は企業社会と重なる(東洋経済オンライン)
それは、何度でもくるものではないか、と。例えば、ボロボロの体でムーンサルトプレスをし、喝采を浴びている武藤敬司は今もまた全盛期ではないか、と。
よく「◯◯がボーカルだった時代が全盛期」「◯◯というアルバムの頃が全盛期」みたいな論じ方があるが、ナンセンスな議論だと思う。全盛期は何度だってくる。あるいは、全盛期と言う割には実はそんなものはまだ来ていなかったりすることもあるわけで。
OUTRAGEに関しては90年代後半にボーカル橋本直樹の脱退があり。3人で活動していた時代もあった。20周年記念ライブおよびアルバムに橋本直樹がゲスト参加したのだが(その後、正式に復帰)、復帰後も波があったように感じる、正直なところ。グダグダなライブでがっくりした日もあった。しかし、メンバー全員が50代の彼らの、この日のライブはまるでブレーク寸前の新人バンドのようなエネルギーがありつつ、深みを増していた。今が全盛期ではないか。
「全盛期」を決めつけるのはヤメにしよう。たいていの人には、まだきていないし。
私も全盛期はまだきていない。
最高傑作は常に次回作。さ、今日も頑張りますかね。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年2月20日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた常見氏に心より感謝申し上げます。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。