オーバーホールに出していたオメガスピードマスターシューマッハモデルが戻ってきた。前までは近所のマルイの時計売り場でお願いしていたのだが、今回は松屋銀座。倍くらいのお値段がしたが、新品かと思うくらいの仕上がりで戻ってきた。
この時計との付き合いも今年で17年。会社員のころ、MVPを頂き。その賞金で新宿のさくらやで買った。12万円くらいだと思う。もう5、6回はオーバーホールに出しているだろうか。前に出した時には「この時計は売らない方がいいですよ」と言われた。価値が上がっているかどうかは分からないけど、なんせ良い感じになっているので。実際、人と会っている時に「かわいい」などたまに褒められることがある。フォーマルな場でもギリギリOKで、もちろんカジュアルな場にもぴったり。
絶大なる経済力で、経営者でもないのに服にはお金を注ぎこんでいる感じの私だけど、この時計以上にお金をかけたことがなく。今メインで使っているのはこれを入れて3本で、他の2本(2つともグッチ)はもともと20万円くらいするものを並行輸入品×型落ちで8万円くらいで買ったものだ。
同世代の人や若い人でも、50~100万円くらいする勝負時計をしている人は見かける。それも数本持っていたりする。『LEON』風に言うと「ゼンマイ親父」というやつだ。そういう人に比べると、私は時計にお金をかけない人である。
それでも、当時の私にとっては「一生ものの買い物」のように思えたのだった。なんというか、もうこれ以上高い買い物はすることないだろうくらいの感じで。その後、マンションを買い、車も何度か買い替えたが、時計の中ではこれが今のところ最も高額ということになる。
今回はこの「一生ものの買い物」ということについて考えてみたい。誰かのコラム(小田嶋隆さんだったかな)で読んだような気がするのだが、「これは、一生ものですよ」みたいな感じでそそのかされて買うのだが、数年後には持っていても恥ずかしくなるものってあるのではないか、と。経済は停滞気味なのにも関わらず、基本は商品のライフサイクルは早めな感じで。一方、スマホさえあれば何でもできる時代であり。服にお金をかけない人はファストファッションでOKで、お金をかける人はシーズンごとに買うわけで。住宅も今後、供給過剰になり。クルマだってシェアの世界だしな。
「一生ものの買い物」って何だろう?ふと気づいた。「一生ものの買い物」=高いモノと考えていないか、と。実は高いかどうかは関係ないし、モノとは限らないのではないか。人生を変えてしまった本とか、旅行とか。あるいは、魂を揺さぶる講義を受けられる学校とか。
世の中はモノからコトにシフトしている。いかにも高い時計だ、バッグだ、車だというのを買うのを「一生ものの買い物」と考えること自体、考えが硬直化しているのかもしれない。反省した。そう考えると、自分にとっての一生ものの買い物は、大学、大学院時代の学費(前者は親に助けてもらったが、奨学金も使ったが)、何度かの海外旅行かなあ。あと、何冊かの本かなあ。もちろん、今の服、Mac、文房具、クルマ、もちろんこの時計なんかもいつも感性を刺激してくれるのだけど。
あなたにとっての「一生ものの買い物」は何だろうか?
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年3月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。