教育勅語とフランス国歌のどっちが危険か

池田 信夫


森友学園の問題はわけのわからない方向に脱線し、稲田防衛相が「日本が道義国家をめざす」という珍妙な答弁をしたことで教育勅語の是非論になっている。朝日新聞の杉原里美記者は「臣民は戦争など国の非常時には、勇気をふるって身を捧げ、『君国』のために尽くす」と批判している。

戦前ほとんどの生徒は教育勅語の意味を知らないまま暗唱していたが、これは国歌のようなものだから君主を賞賛するのは当然だ。イギリス国歌も「神よ女王を守りたまへ」と歌っている。「非常時に身を捧げる」のがよくないというなら、次の歌詞はどうだろうか。

行こう 祖国の子らよ 栄光の日が来た!
我らに向かって暴君の血まみれの旗が掲げられた

聞こえるか 戦場の残忍な敵兵の咆哮を?
奴らは我らの元に来て我らの子と妻の喉を掻き切る!

武器を取れ 市民らよ 隊列を組め
進もう 進もう! 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!

これはフランスの国歌、ラ・マルセイエーズの1番である。特にリフレインの「汚れた血」という表現は他国民の血が汚れているという民族差別なので改めるべきだという議論があるが、いまだにフランス国民はこの歌詞を斉唱している。これは教育勅語の漢文と違ってフランス語なので、意味は子供でもわかる。

このように普遍的な正義や、天から与えられた人権のために命を捧げることがフランス革命の理念であり、ナポレオンが全ヨーロッパを支配したのも、そういう理念が共有されたからだ。近代国家が戦争に生き残る上では、そういう国民意識を植えつけることが絶対条件だった。

教育勅語も君が代もそのイデオロギー装置だが、立憲君主国としては普通であり、フランス国歌よりはるかに穏健である。それを暗唱するのは趣味の問題で、キリスト教系の学校で「主の祈り」を暗唱するのと同じだ。私立幼稚園なのだから、いやなら親が子供を行かせなければいい。

朝日新聞は安倍首相が関与していると思って大きく報じたのだろうが、妻が名前を貸しただけだと判明したので、もはや国政レベルの問題ではない。北朝鮮が4発も日本に向けてミサイルを発射したとき、ローカルな幼稚園の問題を国会で審議するのは貴重な政治的資源の浪費である。民進党はもう撤退すべきだ。