人の悪口や人の不幸は蜜の味と称することがある。浄土真宗の宗祖である親鸞は「悪性さらにやめがたし、こころは蛇蝎(だかつ)のごとくなり」と説いているが、これは、私たちは生まれながらにして、蛇や蠍のような毒を心の中に宿しているという意味でもある。
それでは、一般的に、「なんで人の悪口を言ってはいけないの?」と聞かれた際、どのように答えることが望ましいだろうか。この問いに対して、わかりやすい回答があるので紹介したい。浄土真宗本願寺派僧侶、保護司、日本空手道「昇空館」館長も務める、向谷匡史(以下、向谷氏)の見解である。
■最初に「悪口」の表裏を理解する
――まず前提として、人の悪口を言わない人は存在しない。「悪口」という行為に対して「それは心が醜いから」「それはいけない事だから」と説いても矛盾が残ってしまう。
「矛盾ならず、人の悪口を言うことは誰にでもあることですから、心のありかたを説いても効果的ではありません。『悪口は、誰だって言いたくなるんだけど、できるだけ言わないように気をつけているんだよ』と称して次のように投げかけてください。」(向谷氏)
「『君たちが悪口を言いたくなる人って、どんな人?』、すると『『自分さえ、よければいい人』『団体行動がとれない人』といった答えがかえってきます。これは、自分に対して迷惑をかける人のことを指しています。」(同)
――もっと掘り下げるなら、自分にとって良い人の悪口は言わないということにもなる。そして悪口は必ず、相手に伝わることを教えなければいいけない。悪口の影響を理解しなければいけない。
「悪口を言ったために人間関係が壊れてしまうことはよくあることです。そして、いったん壊れた人間関係は、なかなか元には戻りません。悪口の『言う』『言われる』は表裏の関係にあることです。そして、それを口にしないことと教えてあげることが大切です。処し方を通じながら、私たちは人間関係を学んでいくのです。」(向谷氏)
■「悪口」を言ってはいけない核心
――次のような説法があった。お釈迦様が托鉢をして歩いていると、町民が食ってかかってきた。「托鉢と称して、人にものをもらって生きているだけではないか」と。お釈迦様は罵詈雑言を聞き流すと次のように言った。「言いたいことはそれだけですか」。
「弟子たちは、どうして反論しないのかと詰め寄った。弟子たちにお釈迦様はこう問いかけた。
『では、聞くが、誰かが毒蛇を持ってきたら受け取るのか?』(お釈迦様)
『受け取るわけがありません』(弟子)
『受け取らなければどうなる?』(お釈迦様)
『持ってきた人間が持って帰ることになります』(弟子)
『そのとおり。だから私は毒蛇を受け取らなかったのだ』(お釈迦様)
「汚れた心は、あの町民が持ち帰ってくれたと、お釈迦様は説いたのです。」(向谷氏)
――なお、本書は子供向け教育に書き上げられたものだが、ケースにリアリティがあることから大人にもお勧めできる。上司のコネタとしても役立ちそうだ。多くのケースを理解することで物事の正しい道筋を見つけられるかもしれない。
参考書籍
『考える力を育てる 子どもの「なぜ」の答え方』
尾藤克之
コラムニスト
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