自衛隊南スーダン派遣をめぐる「ポスト事実」言説に対する検証

篠田 英朗

南スーダンでのPKO活動撤収は決まったが…(防衛省サイトより:編集部)

英国国民投票や米国大統領選における「ポピュリスト」の台頭をめぐり、嘘が事実のように語られる現象を指す「ポスト真実(post-truth)」という言葉が、流行語となった。日本でも、政権を批判するなら何でも許される、という勢い任せの「ポスト真実」の「ポピュリスト」言説が目立っている。自衛隊の南スーダンからの撤収も決まったところで、そろそろそれも店じまいの時期ではないか。今回は、嘘が真実として記憶されてしまわないために、自衛隊南スーダン派遣をめぐる「ポスト事実」検証の記事を書いておきたい。

<駆け付け警護は「文民の保護(PoC)」を目的にしている>・・・False
改正PKO法は、「文民の保護(PoC)」活動を扱っていない。「活動関係者」の保護だけである。PKO法第三条第五号ラの実際の条項を読めばすぐわかる初級の間違いである。

<国連は戦争をしなかったが最近のPKOは戦争をするようになった>・・・False
もっとも「戦争」は法律用語ではないので、「戦争だ戦争だ」と言っている限り、それは文学作品の域を出ないので、せめて「戦争を」を「武力行使」に言い換えてみるとどうなるか。国連憲章第7章にもとづく武力行使を行うことは合法であり、数々の事例がある。つまり「国連は1999年以前は武力行使をしなかった」と言うのは、間違いである。国連PKOが7章にもとづいて武力行使をした事例は1999年以前にもある。したがって「国連PKOは1999年以降に戦争(武力行使)をするようになった」と言うのも間違い。「憲章7章の権限を付与される機会が増えてきた」であれば良い。

<事務総長布告「国連部隊による国際人道法の遵守」(ST/SGB/1999/13)(1999年8月6日)が国連PKOを戦争する活動に変えた・・・>・・・False
学会には一切属さずマスコミ向け文書を大量生産している「元国連幹部」の方がこの「物語」を拡散させているのだが、国連職員も驚愕するだろうすごい情報操作「物語」である。実際の布告は、国際人道法の中核規定の遵守を徹底する内容で、事務的ですらある。確かに、1999年にUNAMSIL設立によって「文民の保護」が初めて安保理決議に導入される直前に出された布告であり、PKO要員の武力行使の機会が増える可能性を視野に入れたものではある。だが布告で遵守が強調されているジュネーブ諸条約共通三条などの中核規定は、国際慣習法としての地位が確立されているもので、国連PKO要員にも遵守義務があるのは当然だ。フィールドでは国際法に精通していない国連職員がいることも念頭に置いて、あえて「布告」を出したに過ぎない。そもそも「事務局長」が、自らの名前の布告で、前例ない戦争行為を国連PKOが始めることを命令する可能性など、空想物語でしかありえない。

<日本は戦争をしないのにジュネーブ条約に加入しているのは矛盾だ>・・・False
武力行使は国連憲章2条4項で一般的に禁止されている。日本国憲法9条1項で一般的に禁止されているのと同じ内容である。この「武力行使に関する法=jus ad bellum」の規制は、「武力紛争中の行為に関する法=jus in bello」とは異なる別個の法体系を形成している。両者は連動せず、前者の合法性/違法性は後者の合法性/違法性を約束しない。国連憲章2条4項と憲法9条1項の「武力行使の一般的違法性」と「国権の発動としての戦争の放棄」は、明らかにjus ad bellumの法規範である。したがってジュネーブ条約を中心とする国際人道法=jus in belloの法規範の適用に、一切影響を与えない。戦争放棄を宣言しても、合法的に自衛権を行使する準備があるのであれば、当然国際人道法が適用される場面を想定しなければならない。

<日本には軍法がないので自衛隊に国連PKO参加する資格はない>・・・False
そもそも単なるレトリック以上の何ものでもないのだろうが、日本政府のみならず、国連、受入国、関係国のいずれからも、そのような論点が提示されたことはない。犯罪者の処罰は必要だが、たとえば警察要員であっても処罰しなければならず、軍法の有無は本質的な問題ではない。

<駆け付け警護をすると自衛隊員が殺人罪で問われる>・・・False
業務上過失致死だろう。そして業務上過失致死は日本の刑法第三条の「国外犯」に該当しない。ちなみに、どの要員でも過失で誰かに損害を与えることがあるので、自衛隊員だけが特別ではない。たとえば文民職員であっても過失の疑いのある命令で殺害行為を行わせたら、当然同じ扱いのはずだ。

<国連PKOに参加すると「交戦権」を行使したことになる>・・・False
交戦状態に陥る可能性があるということと、「交戦権」なるものの行使とは、全く異なる次元の話だ。交戦状態は、法的権利義務関係にかかわらず、実態として発生しうる状態のことであり、その実態としての状態に応じて国際人道法がかかわってくる。繰り返しになるが、国際人道法の適用は、戦争をする権利の有無などとは一切関係なく、普遍的に適用される。これに対して、交戦権なるものは現代国際法には存在していない、日本国憲法において、否定されるためだけに登場する概念である。日本国憲法9条2項には、マッカーサー草案のメモの文言が残って「交戦権(rights of belligerency)」否認の規定が残った。マッカーサーの意図は、日本が再び国際法を破って侵略行動に出ないように、日本に国際法遵守を求めることであっただろう。それが国際法で廃止された古い「交戦権」復活をあえて明示的に禁止する憲法9条2項であった。

なお日本政府は、9条1項と2項の内容が重複してしまうという技術的処理の理由から、2項の「交戦権」を「交戦国が持つ種々の権利(rights of belligerents)の総称」という意味で解釈している。そして古い「戦時国際法」などにあった敵国領土の占領、中立国船舶の臨検、適正船舶の拿捕をする権利などを指すと説明した。ただしこれも国連憲章成立以降の現代国際法では時代遅れの考え方になっており、基本的に自衛権行使か集団安全保障発動の問題に還元される。つまり、仮に憲章7章の強制措置の執行又は自衛権を発動する国連PKOの作戦に従事し、その結果「交戦状態」に陥る場面が発生しても、上記の二つの意味の「交戦権」のいずれの場合とも関係してこない。(このあたりは国立国会図書館総合調査室の松山健二「憲法九条の交戦権否認規定と国際法上の交戦権」『レファレンス』(平成24年11月号)が簡易にインターネットで閲覧できる参考資料となる。)

日本政府は、憲法上許される「自衛行動権」というものは「交戦権」には含まれないという説明を行っているが、要するに現代国際法における武力行使の一般的禁止で「交戦権」の余地は消滅したが、憲章51条の自衛権は例外として合法だ、と言うのと同じである。憲法9条2項は、現代国際法で禁止されているものを、あらためて禁止しているわけだが、憲法制定当時、日本が国連加盟前の占領国であったことを考えれば、奇異なことではない。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年3月12日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた篠田氏に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。