朝鮮半島には「Xデー」も「レッドライン」もない(特別寄稿)

潮 匡人

本エントリーは4月からアゴラ研究所のフェローに就任いただいた航空自衛隊OBの評論家、潮匡人さんのオリジナル寄稿です。

arif_shamim/flickr(編集部)

たとえば「Xデー 北朝鮮」でインターネット検索すると、「米軍が北朝鮮を攻撃するXデーは4月〇〇日」など様々予測する記事にいくつもヒットする。すでに、それら期日の大半が過ぎた。つまり大方の論者が今度も予測を外したわけである。主要メディアは4月15日の「太陽節」に注目したが、北朝鮮は(私が予測したとおり)翌16日のイースター(復活祭)に弾道ミサイルを発射した。

その弾道ミサイル発射を、全マスコミが「失敗」と報じたが、それら報道の多くがミサイルの機種を特定していない。何を撃ったかさえ分からないのに、なぜ失敗と断定できるのだろうか。

遡る4月5日の朝、各局とも「北朝鮮が弾道ミサイル『KN−15』1発を発射した」と速報したが、その性能諸元は報じなかった。スタジオにいた「識者」を含めご存知なかったからであろう。みな緊急特集を組みながら、そのKN−15が本年2月にも発射された経緯に言及しなかった。

同夜のNHK「ニュース7」は、KN−15の「なにが脅威?」と題し「①固体燃料 ②移動式の発射台」と二点に絞り報じたが、北朝鮮が保有する弾道ミサイル「トクサ」も、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)も「固体燃料」である。加えて他のスカッド、スカッドER、ノドン、ムスダン、ICBMとも、すべて「移動式の発射台」に搭載される。つまりKN−15の特徴的な「脅威」を報じたニュースになっていない。

同夜の「ニュースウォッチ9」(NHK)でも「今までと違う緊張をもたらした」と報じたが、今年2月の発射時と、何がどう「違う」のか。その説明は一切なかった。ちなみに、その後「発射されたのはスカッドERで失敗の可能性がある」(米国防省当局者)と報じられたが、スカッドERは本年3月に4連射された。その経緯を踏まえ、翌4月になぜか1発だけ撃った背景をきちんと報じてほしいところだが、そうした番組はまだ見ない。

Xデー(エックスデー)とは、起こることは確定的であるが、いつ起こるか予測できない重大事件が起きる日を指す俗称である。「X-Day」は海外ではこのような意味では使われない(ウイキペディア)。以上の理解に従うなら、朝鮮半島に「Xデー」は存在しない。

なぜなら、4月20日現在なお、米軍の作戦行動ないし第二次朝鮮戦争が「起こることは確定的」とは言えないからである。メディアは「米軍が北朝鮮を攻撃するXデー」を議論したがるが、現在そうした日付が予め確定しているわけではない。あえて百万歩譲って、「Xデー」が予定されていると強引に仮定したとしても、それを日本のマスコミが知り得るはずがない。米軍の「機密情報」を云々する猛者もいるが、そもそも日本人ジャーナリストは「TOP SECRET」(機密)にアクセスできない。

たとえば、このまま日米韓の軍事・防衛当局がプレゼンスを維持する、あるいは今後、空母「ロナルド・レーガン」が展開し空母2隻体制となるなどして、北朝鮮の挑発や威嚇、暴挙や暴走が抑止されるなら、その間ずっと「Xデー」は来ない。

なぜなら、北朝鮮が越えたくとも「レッドライン」を越えられないからである。眼前の圧倒的な日米韓の戦力を目にし、踏みとどまるなら、米軍は日本のメディアが連日報じるような作戦行動はとらないであろう。あまりにリスクとコストが高いからである。

他方そうならず、もし北朝鮮が「レッドライン」を越えたら、トランプ大統領の命令により、米軍の作戦行動が始まるであろう。仮にその日を「Xデー」と呼ぶなら、それは米軍ではなく、北朝鮮最高指導者が決める日付である。

ならば、どこが「レッドライン」なのか。

「レッドライン」(赤い線)は「最後の防衛ライン」や「譲歩の限界」を意味する(『リーダーズ英和辞典』)。越えてはならない一線であり、「これ以上は譲歩できない。そこから先は交渉の余地がない」とのニュアンスを含む。アメリカ大統領が使えば、その先の米軍事介入を強く示唆する表現となる。

かつてオバマ大統領は「シリアにおける化学兵器の使用はレッドライン」と明言していた。2013年8月21日、そのシリアが化学兵器を使用。オバマは「熟慮を重ねた結果、限定的な軍事攻撃で対処することが米国の安全保障上の利益にかなうと判断した」(オバマ演説)。ところが、米連邦議会やイギリスからも反対論や慎重論が続出。結局、翌9月10日「アメリカは世界の警察官ではありません」と演説し、矛を収めた。

要するにオバマ政権下「化学兵器の使用はレッドライン」ではなかった。そういうことになろう。たとえ現職大統領が「レッドライン」と明言しても、かくの如し。いわんや、以上の経緯を批判した上で「レッドラインは明言しない」トランプ政権においておや。

もし、どこかにトランプ政権の「レッドライン」があるなら、それは朝鮮半島ではなく、トランプ大統領の頭と心の中にある。だから他人には分からない。トランプ自身にも分かるまい。なぜなら結局は主観的な判断であり、感情で動くからである(詳しくは5月刊の拙著『安全保障は感情で動く』文春新書)。ちなみに英語で「感情をかきたてる」も「動く」も同じ「move」。トランプ大統領をシリア攻撃へと「move」させたのは、哀れな犠牲者の映像だった。言わば、それが「レッドライン」となった。

朝鮮半島情勢も同様であろう。どこに「レッドライン」があるかなど、誰にもわかるまい。もとより日本人ジャーナリストにわかるはずがない・・・のに、連日みな「Xデー」や「レッドライン」をときに笑顔を交えながら語っている。なんとも不思議な光景だ。

結局、大半の日本人にとって、朝鮮戦争は昔も今も、対岸の火事でしかない。自身に火の粉が降りかかって、はじめて身をもって知ることになる。


潮匡人(うしおまさと)評論家。
昭和35年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。教育隊区隊長、航空団小隊長、飛行隊付幹部、大学院研修(早大院博士前期課程修了)、航空総隊司令部幕僚、長官官房勤務等を経て3等空佐で退官。防衛庁広報誌編集長、帝京大准教授、拓殖大客員教授等を歴任。アゴラ研究所フェロー。公益財団法人「国家基本問題研究所」客員研究員。NPO法人「岡崎研究所」特別研究員。東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)。『日本の政治報道はなぜ「嘘八百」なのか』(PHP新書)など著書多数。近著に『安全保障は感情で動く』(文春新書・5月刊)、『憲法9条』(新潮新書・7月刊)。