社畜とは、正面玄関よりも通用口を思い出す人のこと

常見 陽平

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家内が、懐妊祝いで友人たちとランチ会だというので、一人の週末だった。人前に出る用の春夏物が欲しくなり、GINZA SIXを見てみたくなり、銀座へ。都営浅草線の快速に乗ることができたので、あっという間に新橋へ。いつもは東銀座で降りて歩くのだが。新橋から向かう銀座は、それはそれで新鮮だ。

ふと、気づいた。サラリーマンだった頃、死ぬほど残業と休日出勤をしていた頃のことを。なんというか、週末、銀座に行くというのは、別に楽しいことではなく、休日出勤の思い出の方が多かったな、と。そう思った瞬間、私の胸はワサワサしてきた。

いつも飲みの席に参加するために、銀座にはよく行くし、リクルートの前も通っていたのだが、実に久々に、休日に通用口の前を通ってみた。なんとも言えない、重い気分になった。レイ変(レイアウト変更)なのか、運送会社のトラックが止まっている。社員風の女性も出てきた。社畜だった日々が蘇る。なんというか、この上なく会社員時代のことを思い出したことも事実だ。猛烈に働いていると、正面玄関よりも、通用口の方が思い出が大きいのではないか。なんせ、深夜にも、休日にもここを通るのだから。


最新作のこの本と・・・。

リクルートという幻想 (中公新書ラクレ)
常見 陽平
中央公論新社
2014-09-09


3年前に書いたこの本で詳細に書いたのだが・・・。

会社員時代の私は猛烈に働いていた。いや、ぶっちゃけ効率が悪かったのも事実だ。別に優秀な社員ではなかった。いまだに何割かのリクルート関係者からはバカにされるのだが。昨年もあるパーティーで、しばらく会っていない女性の先輩とばったり会い、お前がえらくなりやがって的に面と向かってバカにされた。まあ、お前より有名だし、稼いでいるけどな。一生、リクルート時代の役職と仕事を自慢しとけ。人材輩出企業と言いつつ、社内のこと、リクルート人脈しか見ない人もそれなりにいてうんざりする。

まあ、いい。また、怒りスイッチが入ってしまった。話を戻そう。

いや、実際、仕事の絶対量も多かったのだ。よくもまあ、あれだけの仕事をこなしたなあ、と。そして、突発的に仕事が発生していたなあ、と。

もっとも、これまたよくないことなのだが、仕事に夢中になり、残業したり、休日出勤したこともそれなりにある。清々しい気分で早朝や休日の夜に通用口を出たこともあるなあ、と。

私たちは何だかすべて忘れてしまう。記憶はどんどん美化されていってしまう。ただ、自分の感性が鈍っていないなあと感激したのは、この通用口を見て、様々な喜怒哀楽が、複雑なままに蘇ってきたということだ。竹内まりやの「駅」風に言うならば、「懐かしさの一歩手前で こみ上げる 苦い思い出に言葉がとても見つからないわ」という感じだ。うん、世の中が複雑になっているのに、なんでもかんでも右か左か、YESかNOかと言いたがる世の中だけど、この感覚は大事にしたい。

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もう私には、長時間労働はない(休日出勤は、学務のためにたまに発生するが)。こんな気持ちよく銀座を歩ける日がいつの間にか来ていたんだと感激した。空はとても青く。20代の頃は、銀座の空がこんなに青く見えた日がなかった。暗い銀座の通用口の思い出を忘れかけていた。

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服をいっぱい買って、海鮮丼も食べちゃったぞ。

話が拡散したが、会社を辞めてみると、意外に正面玄関よりも、実は通用口の思い出の方が多くない?っていう話。少なくとも私はそういう人生を送ってきたし、いちいち美化しちゃいけないと思う。会社は汚くて美しいところなのだ。

で、会社の本質は通用口に現れるよね。働き方改革が進んでいるとされている企業の通用口をウォッチしてみるといいよ。


最新作では、私の会社員時代の残業を赤裸々に書いているので、チェックしてね。まあ、私の方がすごかったという話がいっぱい出そうだが。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年4月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。