国債が下落してもリフレ派は困らない

池田 信夫

ニューズウィークで、リフレ派の野口旭氏が「国債が下落しても誰も困らない」という。確かに金利が上がって日銀が損しても、得した売り手が必ずいる。私が野口氏から1億円借金して踏み倒しても、社会全体で合計すると、彼が1億円損して私が1億円得するゼロサムの所得移転にすぎない。

こども版でも書いたが、日銀の評価損は大した問題ではない。20年たてば金利収入で黒字になるので、問題は民間銀行だが、これも取り付けが起こったら地銀や信金がつぶれるだけで、10年ぐらいすれば元に戻るかもしれない。

では取り付けが起こらなかったら、何も問題はないだろうか。野口氏にとってはOKだろう。彼は自分の社会保障コストを国債という形で前借りしたまま死んで行くので、収支はプラスだ。

しかし同額の損がどこかに発生する。それは将来世代である。一般会計と社会保障特別会計を合計すると、純債務ベースで2000兆円の政府債務がある。このうち香川健介さんも書いているように、年金はまだましだ。2030年ごろ年金基金が底をつくので、給付の切り下げや支給開始年齢の引き上げ、あるいは積立方式への移行を強いられるからだ。

だが医療は100%賦課方式なので、逃げ道がない。医療給付は、図のように今でも年金の6割だ。政府はこれを社会保障関係費という形で一般会計から穴埋めし、それを国債でファイナンスしている。これも厚労省のように「賦課方式とはそういうものだ」と割り切れば、何ら問題ではない。

こうして現在世代は、将来世代から生涯所得で1億円ぐらい前借りしている。野口氏は社会全体をゼロサムと考える寛大な人物らしいから、ぜひ私に1億円貸してほしいものだ。私が遊んで暮らし、彼が働けばいいだけだ。子孫が黙ってわれわれの消費した社会保障サービスのコストを払うなら、誰も困らないのだ。