仕事柄、日常的に本を読んでいる。そういえば、最近、小説を読み直すということをしていなかった(小説以外のものは、それなりに読み返しているのだけど)。若い頃は、好きな小説を何度も読み直し、その度に何かを発見したりしたものだけど。飲みの席で話題となり、実に久々に村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を手にとってみた。村上龍のデビュー作であり、1976年に群像新人賞と、芥川賞を受賞している。
初めて読んだのは、中学校3年生の頃だったような。発表から13年後くらいで、もう村上龍は政治経済小説にシフトしていたような。ロックミュージシャンのインタビューを読む度に、村上龍のこの作品が話題に出ており。読まなくてはと思った次第だ。地元の図書館で借りて読んだ。今、手元にある文庫は92年に出た41刷(!)目のもので。大学に出てきてから書い直したものだったような。いずれにせよ、引っ越しを繰り返しつつも、何度も本の整理をしつつも、私の本棚を生き抜いた本だと言える。
20数年ぶりに読んだこの本は、やはり衝撃的だった。徹頭徹尾、セックス、ドラック、暴力、ロック。しかも、それを冷めた視点で、冷徹に淡々と描き続けている。普通のセックスに関する描写でも思春期はドキドキしたものだが、ここで描かれているのは乱交だったりもし。
15歳の時に読んでも衝撃的だったのだが、43歳になった私にとっても、やはり衝撃的だった。いや、その後の小説や映画でもセックスやドラッグの描写は何度も見てきたのだけど、衝撃的なものが、実に低温度で描かれているかのような。セックスもドラッグも快楽を貪るものでありつつも、ちっとも気持ちよさそうではないものに描かれていると感じる。
村上龍の出身校(中退だけど)、ムサビの非常勤講師を2011年から続けている。教え子たちは、村上龍のことをあまり知らない世代だ。知っていても、小説家よりは「カンブリア宮殿の人」という話であり。いや、その「カンブリア宮殿」も学生が積極的に見る番組でもないわけで。
このエロい、グロい小説を書いていた村上龍が、政治や経済のことを語るようになり、経済番組の司会を10年以上続けているというのも驚きだけど。もっとも、この処女作(って、出てる女性は全員処女じゃないが)にも、政治経済への関心を思わせる描写はなくはなくて。最後に登場する「鳥」に関する異常な現実感、リアリティは社会への眼差しというか、社会との対比というか、そんなものを感じさせるものであり。
いずれにせよ、15歳の時と同じように読んだあとにブルーになってしまった。こういう風に、作家の原点というか、処女作に戻ってみて、彼ら彼女たちの変化と変わらない部分を捉えるのって楽しいね。
最新作、よろしくね。私はデビューした頃からずっと変わらなくて、普通の人の働く幸せって何だろうってことをずっと考えている。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年5月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。