週末に、「米国を発着する飛行機内へ、スマートフォンより大きなパソコンの機内持ち込み禁止」というニュースが流れた。日本へ頻回に旅する私にとっては一大事と思い、記事をよく読んでみたが、現時点では、主にヨーロッパと米国を行き来するフライトへの対応になるようだ(正式には、まだ、発令されていない)。
日本のニュースで、内容をよく調べずに、日米間の便も同様な措置が取られるような記事が掲載されていたが、これは明らかな誤報だ。しかし、ヨーロッパからアジア経由で、米国に来ることも可能であり、米国発着のすべての便に広がる可能性は否定できない。米国当局者の話では、パソコンの中に爆弾をセットできる危険性が現実問題としてあるようで、恐ろしい時代になったものだ。そうなれば、機内では、誰からも煩わされずに、最も長時間仕事に集中できる時間が確保されていた私にとっても、頭が痛い問題だ。発表スライドの準備を完璧に済ませて出張に出かけなければならなくなる。
しかし、迫り来る危険は米国内だけではない。北朝鮮が3週間連続で、ミサイルの発射実験をした上に、「日本は意地悪だから、米軍基地以外も攻撃対象にする」と言っているそうだ。米国の弱気な姿勢が明白になってきたので、日本は完全に見下されている。チンピラに恫喝され続けても、何もできないのが今の日本国憲法なのか?!日本の排他的経済水域にミサイルを落とされても、抗議するだけでは、負けイヌの遠吠えだ。昔なら、こんな行為は宣戦布告ではないのか!
こんな状況でも、獣医学部問題が政治的に最も重要だと叫んでいる野党とは、いったい、どこの国の野党なのだ。最重要な本質が話題とならず、本質からかけ離れた部分で時間が費やされている。最重要な問題は、「獣医学部新設が、客観的に妥当なことかどうか」だ。
獣医学部新設が、客観的に必要であり、妥当であるなら、利権という岩盤規制をぶち破ったことになり、長期安定政権ならばこそ、それができたことになり、何も責められる事はない。利権まみれの規制を打ち破るために、官邸の意向が働いて何が悪いのだ。ましてや、民主党議員もそれを支援していたというのだから、今更、何を言っているのだ。
一部メディアは「前事務次官が刺し違え覚悟で臨んでいる」と誉めていたが、別の問題で引責辞任した後で、官邸を攻撃している状況では、「差し違え」という日本語は適切ではない。事務次官職にあって、官邸の方針に非を唱えるのが「差し違え」覚悟の行動であって、本件は「江戸の敵を長崎で」程度のことだ。獣医学部新設の適否の是非なくして、この問題を議論するのはあまりにも無意味だ。ワイドショーに話題を提供するために、政治芝居が打たれているような状況が続いているのは、どうしたものか?
と、そんな中、インディ500で佐藤琢磨選手が優勝したといううれしいニュースが飛び込んできた。私はこの種の競技にはあまり関心がないが、そんな私でもインディ500は知っている。日本人初だから立派だ。米国に住んでいる今、日本人選手の活躍はどんな競技であっても励まされるものだ。と喜ぶ間もなく、米国人記者が「個人的な批判をするつもりはないが、メモリアルデー(戦没者追悼記念日)の週末に日本人ドライバーがインディ500で優勝したことはとても不愉快」とツィートしたことが原因で、解雇されたというニュースが流された。明らかに日本人に対する個人的な差別的発言だ。
本音がポロリと出たのであろうが、日本人の私には、もちろん不愉快なコメントだ。トランプ大統領の出現から、理性というオブラートに包まれていた米国人、特に白人の本音が露骨に現れるようになってきたと感ずる。トランプ大統領の表現が、オブラートに水を吹きかけて、オブラートを溶かし、苦い薬が溶け出してきたかのようだ。G7を見ても、世界をリードする米国という姿は見えない。すべてに損得勘定が優先するようだ。
米国で平等を叫ぶのは、平等でない現実が存在するからだ。しかし、この問題、心の奥底の問題であり、法律ではなく、教育で解決する努力が大切だ。しかし、個人的には腹は立つが、この記者の解雇というのは過激すぎる。人種差別的であるために会社も過敏に反応したのだろうが、何かギスギスしすぎているようで悲しい気もする。
編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。