一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」の企画で物議を醸していた「百田尚樹講演会」が中止となると発表された。
同サイトには中止の理由として、こう書かれている。
このたび本講演会を中止することになった理由についてですが、「本講演会がKODAIRA祭の理念に沿うものでなくなってしまったこと」が挙げられます。当学園祭は一般の学園祭と異なり、「新入生の歓迎」を第一義とするものです。当委員会の企画のために、新入生の考案した企画や、新入生の発表の場である他の参加団体の企画が犠牲となることは、当委員会では決して容認できるものではありません。
当委員会は本講演会を安全に実施するため、これまで幾重にも審議を重ね、厳重な警備体制を用意していました。しかし、それがあまりにも大きくなりすぎたゆえ、(いくつもの企画が犠牲となり、)「新入生のための学園祭」というKODAIRA祭の根幹が揺らいでしまうところまで来てしまいました。
なんというか、徹頭徹尾、かっこ悪い。最初から、そうなるってわかっていたんじゃないのか?
「新入生の歓迎」を第一義とする、という前提で企画してこなかったことが、これで明らかになったのではないだろうか?「犠牲になる」という言葉を安易に使うことも納得がいかない。要するに実行委員会として機能していなかったと宣言するようなものではないのか。
そもそも、筋が悪かったのではないか。
同大学の学生新聞「一橋新聞」の記事を読み返してみよう。
KODAIRA祭 百田尚樹講演問題
――今回、講演者として百田氏が適当だと判断した根拠を教えてください。
集客を見込めるということが最大の理由です。KODA祭は、「新歓期の集大成」という位置づけがあり、大学の内輪のイベントという雰囲気が出てしまいます。外部からの来場者でも楽しめる企画として、毎年講演会を実施しています。メディア企業を志望する学生の多い本学において、人気番組の放送作家で、かつ作家としても広く世に知られた人物でもあるため、話題性は十分であると考えました。
とある。この時点で、「新入生の歓迎」を第一義とするなんていう前提は崩れていなかったか?
また・・・。
今回の講演では、百田氏の政治的な思想、信条については触れず、「現代社会におけるマスコミのありかた」というテーマに絞った講演であれば問題はないと判断しました。正直ここまで大きな反響が起きるとは予想していませんでしたが、百田氏という人選、企画趣旨の設定は適切だと考えています。
とあったのだが、これも今振り返ると、筋が悪い話だ。彼がどんな話をするのかという点が話題となっていたが、一方で、これは彼のファンが聞きたい話なのかという点は考えたのだろうか。
要するに徹頭徹尾、考えていないうえ、中途半端だったのではないだろうか。しかも、この中止理由自体が、この企画に対する批判に何も応えていないことが腑に落ちない。開催について疑問を抱いていた者、反対していた者、中止を求めていた者も、これでは納得しないのではないか?
このような不透明な発表の仕方では、百田氏とそのファンは「言論の弾圧だ」という論理で反対しだす。いや、実際、Twitterで見かけたが暴れているファンもいるわけで。
あぁ、かっこ悪い。
私のところにもOBとして寄付をというお手紙が毎年、届くのだが、寄付する気なんて一生おきないぞ、こりゃ。実行委員会のスタッフはどう責任をとるのか、心配になってしまった。いや、思いつめるなよ。
でも、これは謝罪としては十分ではない。筋を通すべきだ。いや、最初から筋が通っていなかったのだから、しょうがないか。
最近、一橋大学に行きたいという高校1年生男子とメールのやり取りをするようになり、彼は大学生活に期待を抱いているようだったのだが。彼が諦めてしまわないか心配だ。
やれやれだぜ。
というわけで、学生・労働者・市民諸君。このバタバタを反面教師にしよう。
この怒りをぶつけるために、学生プロレスのリングで暴れようかな。
最新作、夜露死苦な。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年6月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。