人類の歴史は暴力による支配の歴史である。近代社会の成立は、国民国家の成立によって画される。国民国家の成立は、少なくとも、国内における理性の支配を実現するが、かえって、戦争という国家間の暴力の行使を正当化させる。
グローバル化には、歴史の進歩を、人類の叡智の進展を、理性の創造的な自己展開を内包している。グローバル化の進展は、国民国家の限界を超えて、最終的には、一つの世界市民社会としての地球の上に、理性の支配を実現するであろう。いかに遠かろうとも、人類が歩む方向が決まっている以上、その日は必ずくる。
グローバル化は、社会哲学の地平にある。しかし、そういうことは、逆に、現実社会がいかにグローバルでないかを物語る。代表例がオリンピックだ。本当は、真にグローバルなスポーツの祭典でなくてはいけないのだが、競技の仕組みも、開催地の選定も、国家と国家の競争関係になっている。
オリンピックよりも、むしろ、グローバルな経済活動のほうが真にグローバルな協調と相互理解に支えられているかもしれない。それは、おそらくは、経済活動のなかに、経済の合理性という普遍性が潜むからではないか。
日本は、地球の上にある故に、グローバルである。経済分野についていえば、グローバル経済のなかの極めて大きな部分が日本なのである。グローバル経済は、日本をとりまく外部環境なのではなく、日本を大きな要素として含む一つのものなのだ。
日本が地球の一部である以上、日本的なものを否定すること、特殊日本的なものを払拭していくことは、グローバル化ではない。グローバル化とは、何か一つのものに統合されることではない。そもそも、理性以外には、人間には共通するものはない。全てが個性的なのだ。
グローバル化は、理性による支配であると同時に、多様なる感性、心性、価値観、言語、食べ物、着るもの、その他全ての個性的なものの共存である。故に、グローバル化と並んで、もう一つの重要概念が多様性、即ち英語でいうダイバーシティとなる。グローバルは、多様性と組み合わさって、初めて意味のあるものになるのだ。
多様なものは、多様なものとして、相互に尊重しあい、相互に刺激しあい、相互に吸収しあい、相互に働きかけあうことで、新しいものを創造する。それが人類の進歩であり、世界市民文化の創造的革新であり、経済社会の成長なのである。
グローバルな理性の支配と、そのもとでの多様性、多様性が作り出す豊かな文化的創造、ああ、理想の世界市民社会・・・。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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