現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言⑦

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地方の多様性について、北京、上海、広東の三都市比較をしてみよう。

日本メディアは、中国に言論の自由がないと伝える。確かに共産党の宣伝部門が新聞・テレビを統制し、ネットを監視する専門セクションもできた。真実を伝えようとする記者には窮屈極まりない体制だ。理想を追い求める優秀な記者たちは、習近平政権になってさらに強化される統制にうんざりし、次々と職場を去っている。残念でしょうがない。もちろん、なお残る者、新たに理想を求めてメディア界を志す若者も、少なからずいることは忘れてならない。

だがこの三都市の比較から、中国における「言論の自由」の複雑さをうかがうことができる。

日本人に最もなじみが深いのは上海である。歴史的にも戦前・戦中には、共同租界の中に数万人に及ぶ日本人居住区が存在したし、改革開放後は日本企業が最も多く進出した。だから上海と言えば、国際的で、開かれた都市だとの印象を持つ。それは大きな間違いだ。メディア界では最も保守的な地であり、かねてから新聞の内容が最もつまらない、との陰口もたたかれてきた。

1949年の建国後、計画経済体制下において、上海はそれまで外資導入によって築いた近代工業の基盤を生かし、重要な国有経済基地として国家財政の多くを支えた。現在も大手国有企業の存在は圧倒的で、近年、メディア業界も二つが一つに大同合併し、航空会社も東方航空が上海航空を買収して一社独占となった。行政効率が極めて高く、都市管理も行き届いている。

その背景には、住民の民度の高さもさることながら、官僚主導モデルが有効に働いていることにある。能吏の人材が豊富で、習近平も秘書は上海から引き抜いている。簡単に言えば、権力の言うことをよく聞く町なのだ。政治のことはさておき、金儲けの話をしましょう、と賢い上海人は腹の中で考えている。

中国近代の新聞、雑誌、出版は上海において発展した。租界を通じた海外文化、資金、人材の流入、そして何よりも、脱政治の舞台があった。国民党の言論政策によるとする見方もあるが、私はむしろ、政治との関係が希薄だったことが、文化の繁栄をもたらしたと考える。逆に建国後の文化は、政治と一体化することで全く異なる道筋をたどる。その中心が北京である。

北京は政治の中心だけあって、タクシーの運転手まで時々の政権批判をする土地柄だ。喫茶店やレストランでも、大きな声で政治を論じているのが聞こえる。権力が集まるということの裏には、多数の権力が存在しているという現実が隠されている。いくら習近平が権力集中を進めても、完全な一枚岩というのはあり得ない。様々な権力者、権力機構が、地縁血縁や利益によって結びついた既得権益集団を率いながら、日夜駆け引きを演じている。日本政界の子どもじみた舌戦とはスケールが違う。

そうした政治闘争を背景に、玉石混交の情報が流れ、利益配分のつばぜり合いにしのぎを削っている。だから、権力と権力の隙間を縫うように、言論は活発化する。ある発言が広まると、そのバックにはどんな権力が控えているのか、みなが得られ得るだけの情報を分析し、発言の真意を推し量る。真意を読みそこなうことは、身の危険にもつながるので必死だ。言論の自由とか不自由とかいった次元の話ではない。刺すか刺されるかという政治闘争なのだ。その結果、予期せぬ自由な空間が生まれる。権力闘争の緊張が生む隙間である。

広州市のパノラマ(Wikipedia:編集部)

さて、南のはずれ、広東省はもともと、中央で失脚した政治家が島流しされる場所だった。中国語では「流放」という。有名人では唐代の韓愈、宋代には蘇東坡が、広東に放逐された。政治の中心との距離は、逆に独立した精神を生む。迫害された者として、仲間意識も強い。現在でも軍内における広東閥は結束が固く、部外者によるコントロールが難しいとされる。中央政権への忠誠心に欠ける風土がまた、個人の利益を追求する市場経済の原動力となり、自由な言論の雰囲気を作り出している。辺境の歴史的な背景に支えられた独立気風である。

北京、上海、広東の三都市を並べながら、私はこの国をつかみ取ろうとするが、それでもまだ足りない。人口比では1割にもはるかに及ばない。しょせんは三か所に過ぎない。そう考えてあぜんと立ちすくむ。だが、あきらめず、忍耐強く、身の回りの一人一人から、奥深い世界をのぞきこもうと努力する。一生かかっても正解はないだろうと覚悟しながら。だから、現地に足も運ばず、「中国は・・・」とあっさり暴言を吐いている日本人の話を聞くと、その厚顔に対し、同胞として恥ずかしさを禁じ得ないのだ。

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年6月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。