疑惑を徹底追及する米国議会に学べ

米上院公聴会で証言するコミーFBI前長官(米民主党上院公式Facebookより:編集部)

ボヤが大火に、日本政治の不手際

ロシア疑惑をめぐり、トランプ大統領の捜査への介入があったかどうか。相手が大統領でも、徹底的に追及する米国議会の精神、姿勢を見ていまして、日本との大きな違いに驚ろかされます。日米の政治、議会制度は違い、単純に比較できないにせよ、あいまいな処理が問題を拡大してしまう日本にとって、学ぶべき点はあると思います。

連邦捜査局(FBI)のトップだったコミー前長官が上院情報特別委の公聴会に呼ばれ、証言しました。解任される前までのトランプ大統領とのやり取り、会話の詳細な記録も提出し、「捜査中止の指示」と受け止めたと、語りました。さらに「大統領は私とFBIを侮辱した」とするなど、遠慮が全く感じられません。

日米で政治的な疑惑の追及が同時進行しています。米国での疑惑は対ロシア政策が絡む国家的な重大問題で、国の進路を左右する重みを持っています。一方、加計学園とか森友学園をめぐる日本での疑惑は、米国と比べれば、極めて小さな問題です。それを安倍政権は無難な処理で済まそうとして、最重要の案件に発展させてしまいました。

トランプ政権は政治的な未経験、未熟さもあり、疑惑が次々に浮上し、議会も動かざるを得なくなっています。そうした中での捜査機関トップの議会証言です。日本は、加計学園に獣医学部の新設を認めた問題で、「官邸の最高レベルの意向」、「首相の意向」が動いたとする文科省の内部文書の有無でもめています。安倍政権は透明度を持って、初期の段階から公正な説明をしていれば、よかったのです。

いつまでやりあっても無意味

官邸側は「怪文書の類」、「出所が不明確。存在が確認できない」、「文科省がそういう回答をしてきた」と、言うばかりです。前文科省次官の前川氏が「文書は存在する。私は読んだ」と、発言しています。「確認できない」とする側と、「存在する」とする側がいつまでもやりあっていても、時間を空費するだけです。米国なら公聴会形式で前川氏の証言を求め、虚偽の発言なら告発するでしょう。

官邸側は前川氏の人格否定にけん命です。それならば、国会に証人喚問して、公開の場で批判すればいいのです。官邸側に利があるという思いですから、国会の場が格好の機会を提供するはずです。それなのに、官邸側は「呼ぶ必要はない」、前川氏は「出る用意がある」ですから、攻守があべこべですね。「呼ぶ必要がある」側が呼ばないというのは、妙ですね。

さすがに、世論の批判を無視できくなったのか、松野文科相は9日、「範囲を広げて再調査する」と発言しました。今後、恐らく「文書はあった」、「内部におけるメモ的な資料であり、正式な文書ではない」、「最高レベルの意向、首相の意向というのは誤解である」とか、きっと否定的に説明するのでしょう。

強行突破、黙殺を続ければ、この問題は下火になるという読みが外れて、ボヤを大火にしてしまったという感じです。官邸側は「認可も適切に処理した」というばかりです。「獣医学部の現状がどうなっていて、どこに問題があり、学部を認可すれば何がどう解決するか。さらになぜ加計学園が適格なのか」を国会の場で説明しておくべきなのです。

語らないから印象操作される

首相は野党発言に対し、「そういう発言は印象操作にあたる」と、怒る場面が目立ちますね。「印象操作」を防ぐには、国会などで、政策決定の過程を透明度を持って語ることが一番です。「印象操作」される原因の多くは首相側にあるのではないかと、思います。

経産省OBの評論家が「前川氏をヒーロー扱いにするメディアに失望する」とか、最近、発言しました。的が外れています。「前川氏を証人喚問し、公開の場で、専門家も呼び、学園問題の是非を論じよう。米国のやり方を見ならったらどうか」と、言うべきなのです。

政権側を支援する人の多くは、政権を擁護することが政権を支援することになると錯覚しています。政権の弱点を見出して批判することが、政権を強くし、支援することにつながると考えねばなりません。野党を批判してばかりいても、政権は強くなりません。批判と否定は違うのです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2017年6月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。