中国人の目線で「中国」を考えてみる。
先日、台湾出身の先生が退任のあいさつに際し、「当初、まさか中国に来るとは思わなかった」とさりげなく話した。スピーチの本人は意識していないが、私は、その場にいた何人かが、表情をこわばらせ、首をかしげ、あるいはその他の人の表情をうかがうようにするのを見て、緊張した。一瞬だが、ピンと張り詰めた空気が流れた。
中国にとって核心的利益に当たる公式見解は、「台湾は中国の一部分」である。中国とは別に台湾が存在しているかのような言い方は、受け入れるわけにはゆかない。台湾に各種各様の見解があるのは承知している。だが、日本にはこの問題について発言権はない。ポツダム宣言から日中国交正常化に至る経緯を調べれば誰にもでも明らかだ。沖縄県人が「我々は日本ではない」と言い出し、中国がそれを支持するような発言をしたら、日本政府はどのような反応を示すだろうか。それと同じである。
先日、気の置けない仲間と酒を飲んだ。広東省汕頭は距離的には香港に近く、言葉を含め文化的には台湾に近い。学生がインターンやメディア交流で香港や台湾に行くのも日常的だ。宴席の話題もしばしば境外(=香港、台湾、マカオ)の話になる。7月1日は香港返還20周年を迎える。
共産党政権を強く支持する者は、香港の現状に悲観的だ。2014年、香港中心部で起きた反政府デモの記憶がある。
「英国植民地下の香港で、住民はみな中国へのアイデンティティがあった。それが今では、あんな調子だ。一国二制度は失敗だ。最初から一制度にしておけば問題はなかった」
そこにすかさず、突っ込みが入る。
「香港人が言う『中国』ってなんだ!。共産党から逃れて、文化大革命から逃れて、最後には天安門事件から逃げて、そういう人間が香港にははくさんいるじゃないか。今の政権と、いわゆる中国という抽象的な概念を一緒するのは、大きな誤解のもとだ」
私にとっては、わが意を得たりの指摘だった。言われた当人も、これには口ごもった。「確かにそうだな」。そして、「じゃあ、『中国』ってなんだ」という話題に移った。私はこのブログでこれまで書いてきたようなことをくだくだと話した。外国人には特別な思い入れもなく、より冷静、公正になれるので、私の見解は、大きな反論もなく受け入れられていく。
そこで調子に乗って、私は、上海と香港の関係から、中央と香港の関係を語った。
--毛沢東率いる共産党による建国後、多くの資本家、文化人が香港や海外に逃れた。メディアをはじめとする文化産業は北京に持っていかれ、以後、上海は文化の根を絶たれた。1930年代の上海黄金時代を描いた映画が、なぜ上海でなく、香港で量産されているのかを考えてみればよい。だが、改革開放後、香港資本の多くが上海に戻ってきた。上海には香港資本のオフィスビルが林立し、虹橋空港の管理も香港資本が行っている。
--そもそも、香港人は政治を語る人々ではない。むしろ、それから逃れ、経済に生きてきた人たちだ。改革開放の成功はまさに、香港に隣接する深圳を試験地に選び、経済優先をアピールしたからではないか。政治スローガンに人はついてこない。利益があれば、人は呼び戻すことができる。その方針は揺らいでいない。香港を政治を通してみるのは間違っている。
--中国における香港問題との関係でいえば、香港は大陸との関係からビジネスを通じて大きな利益を得ている。それは今でも変わらない。ただ、富が一部の資本家に独占され、広く社会に行き渡っていない。その屈折した構造が、香港社会の分裂を招いている。しかも北京が一枚岩でない場合、香港問題は容易に政治闘争のはけ口として利用される側面がある。十分、注意して観察しなければならない。上っ面だけを見て、単純な民主化運動だと思ったら大間違いだ。
どこまで聞き入れてもらえたかはわからないが、中国人と「中国とは何か」について語り合うのは面白い。とはいえ、これは中国人が絶えず問い続けてきた課題でもある。そして今、台湾人が「中国人よりも台湾人」、香港人が「中国人よりも香港人」と、アイデンティティを強化する現状に対し、北京は無関心ではいられない。身を切られるように感じている者もいることは、日本人も知っておいたほうがよい。
それがまた真の中国を知ることである。反政府運動ばかりを追いかけ,それを「中国は・・・」と言うメディアは、世論を惑わしているとしか思えない。
(続)
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年6月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。