現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言⑧

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昨年2月、拙著『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』(文藝春秋)を出版したが、当初、私は本の仮タイトルを「記者魂」としていた。記者魂を失った現代の日本メディアに対し警鐘を鳴らし、かつ、自分が新聞社を離れても、なお記者が本来持つべき精神を肝に銘じ、ものを書き続けるとの誓いを立てたいと思ったからだ。

だが、出版社の営業サイドから、もはやメディア系は売れないと却下され、「習近平モノ」になった経緯がある。メディアの権威失墜が、社会の無関心にまで及んでいることを実感し、寂しい思いをした。

言論の自由について、私は中国にいて感じたことがある。折に触れ書いてきたが、同著の前書きでそのことに触れた。今も見解は変わっていない。以下、その部分を再録する。

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(『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』前書きから一部抜粋)

一人の人間を理解するのは実に骨が折れる。ましてや一つの国を知ろうと思えばなおさらのことである。水分を取り除き中身を凝縮すれば、噛み砕くのに多少の苦労は伴うのはやむを得ない。むしろ事実の重みは水分で膨れ上がった重量をはるかに超えるとものだと信じたい。

「水分」を含め奇想天外なニュースがあふれる中国には、「ニュースの天国、記者の地獄」とのブラックジョークがある。

広大な国土と膨大な人口を乗せた高速列車が経済成長路線をひた走る一方、政治制度の不備や社会建設の立ち遅れから想像もできないような事件が頻発する。56の民族からなる13億人が多層の社会構造を生み出し、複雑な七変化の表情を持つ。5000年の歴史が不動の座を占め、針の先にも満たない微少な個人をのみこんでしまう。一つの国の概念では収まらない世界、それが中国だ。上海の日系企業駐在員が「中国は・・・」と語っていても、実は「上海は・・・」と言っているに過ぎないことが多いのだ。

ニュースの素材には事欠かないが、メディアは中国共産党の統制下にあり、一党独裁体制を否定する言論や思想は、政権転覆扇動や国家機密漏洩罪のレッテルによって弾圧される。中国人にしか見えない隠れた社会のルールを「潜規則」と呼ぶ。明文化されていないが、法や制度よりも実質的に社会を支配している不文律である。トップの習近平総書記までもが暗黙の了解である「政治の掟」を公然と語り、これに反する敵対勢力を排除している。

こうした潜規則を踏み越え、脇目も振らず真実を追求しようとする記者は投獄の危険さえ覚悟しなければならない。高いリスクの代償として恵まれた待遇があるわけではなく、賃金は工場労働者並みで、割に合わない「ハイリスク・ローリターン」の職業だ。安月給を補うためゆすりやたかりに手を染める記者が横行し、社会的地位も低い。

30歳を過ぎて調査報道の責任者に昇格した知人の中国人男性記者が、大学の同窓会に出席した。政府機関の幹部や外資企業の部長クラスになっているクラスメートから、「お前まだ記者をやっているのか」と冷やかされ、ばかばかしくなってやめてしまった。周囲から敬意を払われず、中国人が最も重んじるメンツが丸つぶれだった。

若いうちは高い理想に燃え、社会正義のために労苦を惜しまないが、結婚し、子どもが生まれ、家族の将来を担う身となると、現実と向き合わざるを得ない。今、中国では優秀な記者が続々と新聞社を離れ、安全で待遇のよいネット業界に流れ込んでいる。日本の記者も「3K職場」と揶揄されるが、中国は危険の度合いが桁違いだ。「ニュースの天国、記者の地獄」はこうした現状を風刺している。

だが一方、中国では勇気を出して声を上げ、大きな犠牲を払って真実と正義を追求する人たちもいる。代表的人物は獄中から民主を訴え続け、ノーベル平和賞を受けた劉暁波氏(1955年生まれ)だが、私が直接会った人物の中で、忘れられないのは北京の法学者、許志永氏(1973年生まれ)だ。彼は大学で教べんを取っていたが、それに飽きたらず自ら社会の中に入り、憲法による権利擁護の実践を呼びかけた。度重なる弾圧にも屈せず、出稼ぎ労働者ら社会的弱者を救済する運動に身を投じたが、群衆を集めた「違法集会」を理由に刑事訴追され、2014年4月、懲役4年の刑を受けた。芯の強さとは裏腹に、物静かに国の将来を憂える姿は、私の記憶から消えたことがない。

情報統制による直接的なコントロールを受けない外国人記者は、「ニュースの天国」のみを享受できる特権的な立場にある。取材対象者に対する圧力や記者ビザ発給の制限で取材活動が妨げられることはあるが、中国人記者に対する締め付けとは比べものにならない。私も外国人記者の一人として「天国」の恩恵に浴したが、困難を乗り越え自由を勝ち取ろうとする中国人を間近に見ながら、常に自問してきたことがある。

投獄の危険がない日本社会の中で、我々記者は真実を追求する気概と責任を忘れてはいないか。唯々諾々として会社や上司の指示に従い、人の批判を恐れてやすやすと妥協し、簡単にペンをゆがめてはいないだろうか。新聞社の仲間から聞かされる話は、失敗を恐れる事なかれ主義が幅を利かせ、だれも責任を取ろうとせず、みなが押し黙って大勢に流されている姿だ。草を食みながら黙々と歩く羊の群れを思わずにはいられない。

読売新聞は2012年10月、日本人研究者の虚偽証言によって「iPS細胞による移植」を誤報し、2014年8月には朝日新聞が従軍慰安婦報道や東京電力福島第一原発事故「吉田調書」の誤報で対応に手間取り、社長が辞任に追い込まれた。各新聞社とも信頼回復のため再発防止策を打ち出しているが、「羹に懲りて膾を吹く」過剰なリスク管理によって組織が委縮し、記者たちの意欲までそがれる危機的状況を迎えている。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年6月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。