昨年夏、今上陛下のご意向が報道されてから、ずっと懸念だったのは、京都市長や京都商工会議所あたりが余計なことを言い出さなければよいが、ということだった。下にも記した通りである。
(2016年07月14日)
しかしご譲位の道筋が付くや否や、早速それが出た。
「上皇」京都滞在、国に要望へ 市長、特例法成立で
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20170612000067
「上皇となる天皇陛下にできるだけ長く京都に滞在していただくことは、以前から念願している。具体的にどういう可能性があるのかを専門家の意見も聞きながら、客観的に調査し、できるだけ早く国に要望したい」と述べた。
このニュースは、yahooでも暫時ヘッドライン扱いである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170612-00000017-kyt-l26
こういったことは、そもそも自治体が国に訴えるようなことではなかろう。もし願うにしても、そう言えるだけの都市、そのように主張しても当然、と周囲が認める都市になってからのことであろう。
いまの京都市長にその資格があるとは思われない。文化庁の京都移転についても、強硬に要請を繰りかえして決定を得たわけだが、それは地方分権を旗印にしたものであって、国益を勘案してのことではなかったはずである。まるで文化財を人質にとったような物言いだったとわたしは思うものだ。
ならば文化庁を京都に求めた京都市は、みずからの文化遺産を充分に保全してきただろうか。欲しかったのは「文化」ではなく「庁」だけだったと言われて仕方あるまい。
リニア新幹線に関しても、いまだルート変更に執心で、独自の試算による経済効果を謳っている。一転こちらは国益目線だ。しかし文化庁にもリニアにも共通しているのは、みずからは出捐したくないという態度だ。これではまわりの府県から好ましく思われるわけがない。
京都市が、歴史や伝統の美名によって何かを獲得するのは、たしかに効果的な行政であるかもしれない。だがそれと引き換えに、この市は品位を失う。品位品格を失うだけならまだしも、みずからが主体として働かない僥倖的、タナボタ式の自治体運営は、町と住民の気概をも殺ぐ。
2017/06/12 若井 朝彦
都市の品位が損なわれる時