日本医療研究開発機構(AMED)に問う②

6月29日、東京医科歯科大学で「がんプレシジョン医療」のシンポジウムがあった。そこで、このブログでのAMEDに対するコメントが話題になっていると聞いた。繰り返すが、審査員の質を確保することなく、競争的資金の健全性・公平性が保てるはずがない。申請書を読んでいないことが明らかな評価員のコメントが見過ごされていいはずがない。これは審査員の科学的な能力以前の話だ。外見的に競争的資金に見せても、単に結果的に誰も責任を問われない形骸的な審査になっては、日本の将来はない。 

前回のブログに対して「公的資金とは名ばかりで、内々に採択演題は申請時に決まっているのだと思います。」「審査員なんて、いていないようなものなのだろうと思います。」「審査員の質もそうですが、AMEDの癒着構造の体質を改善しない限りはどうしようもない。」との感想が寄せられた。文部科学省事務系の前トップが「面従腹背」を座右の銘にしていると自慢げに語っていたが、表は競争を謳い、裏で八百長で決まっているのでは、若い人の活力が失われる。 

ただし、私はすべてを競争的な資金にすることには、必ずしも賛成ではない。「国家戦略」に基づいて、責任者が見える形で、トップダウンで推進するプロジェクトがあるべきだと思っている。当然ながら、トップには権限が与えられるが、責任をとるだけの覚悟も必要だ。今のように、責任をあいまいにするような制度設計そのものが間違っていると思う。今のAMEDには、予算配分についての細かい戦術だけがあって、十年先、数十年先の医療を見据えた展望が見えてこないと感じているのは私だけだろうか?国家戦略ではなく、不透明な予算配分技術だ。審査される側も、審査する側も疲弊している。 

喫緊の課題としては、科学的に公平で公正な評価が行われているのかどうかの第3者機関での客観的な評価だ。大きな国家プロジェクトに関する問題点など、聞きたくはないが自然と漏れ伝わってくる。噂ではなく、科学は科学としてのしっかりとした評価が重要だ。ワイドショーで話題になるようなことだけは避けて欲しいものだ。

日本にいていろいろな雑音を聞いていると、段々と心が弱ってくるような気がする。私も12月には65歳になる。シカゴでのんびりと余生を過ごす方が、心の健康にはいいかもしれない。

PS: 他人の臍帯血を投与した行為が「再生医療安全性確保法」に違反しているため、停止命令が出たとの記事を読んだ。こんなものは医療行為であるはずがない。詐欺だ。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年6月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。