複雑すぎてつぶせない:『金融に未来はあるか』



日銀審議委員の原田泰氏が「ヒトラーの戦時経済は正しかった」と発言して窮地に陥っているが、これは「誤解」ではなく彼の持論である。リフレ派にとって「需要不足」を解決する手段は戦争でもインフレでもいいのだが、こういう貨幣数量説の時代は終わった。決済手段は電子化し、国債の金利はゼロに近いので「マネー」はほとんど無限にある。これが世界的に金利が低下する一つの原因である。

したがって金融サービスは特別なサービスではないが、彼らは「決済機能の外部性」を理由にして、厳重な規制で新規参入を阻止している。その独占レントが、銀行の法外な利潤の源泉だ。かつて銀行はその特権を「金融工学」で正当化したが、これは金融危機で壮大な嘘であることが明らかになった。デリバティブと称する「金融イノベーション」は、各国の税制の鞘を取る節税商品にすぎない。

本書も指摘するように、資本主義の本質は鞘取り(裁定取引)である。大英帝国が世界を支配したのは「産業革命」のおかげではなく、新大陸に黒人奴隷を1000万人以上送り込んで植民地支配で搾取したからだ。イギリスが「産業資本主義」だったことは一度もなく、その富の源泉は昔から鞘取りである。シティの金融機関は、今もイギリスのGDPの2割を稼いでいる。

巨大な投資銀行がつぶせないのは金融サービスが特別だからではなく、決済機能を通じて多くの企業とからみあっているからだ。それは「大きすぎてつぶせない」のではなく、複雑すぎてつぶせないのだ。これはタレブが指摘した通りである。

したがって本書の提言は、決済機能と金融サービスを分離して規制を前者に限定せよという常識的なものだが、その最大の弱点は規制を強化すればするほど銀行がオフショアに逃げてゆくことだ。金融危機の大きな原因もこの「影の銀行」だが、奇妙なことに本書はこれにまったくふれていない。それはイギリス人がオフショアを支配しているからだろう。