ネットメディアが論壇の主流となり新聞などが追っかけることはトランプ大統領のツイッターで顕著になっているが、日本でもだんだんそうなってきた。さきごろは、私と文科省出身の寺脇研氏との官僚OB対決が記事になったが、こんどは、山口二郎さんと私の対決らしい。
ただし、寺脇氏とたしかにガチンコ論争だが、山口先生のは政治家が国籍を明らかにするのが、言論の自由を侵害することにつながるという飛躍した話なのをおかしいと指摘しただけなので、本当の意味の議論ではない。
ことのおこりは、民進党の蓮舫代表が自身の戸籍謄本を公開する方針を示したことについて、山口二郎法政大教授が11日にツイッターで以下のように投稿されたことだ。
蓮舫が今、「真正な日本人たれ」という同調圧力に屈したら、それは選挙の敗北なんかよりはるかに大きな害悪を後世の日本に残すことになる。公職に就く人が自分の戸籍謄本を公開して自分は神聖な日本人だと言わさ得るような社会を想像してみよう。それは悪夢だ。
— 山口二郎 (@260yamaguchi) 2017年7月11日
これに対して、私はフェイスブックで次のように返した。
山口先生は何を恐れているのでしょうか?みんなで考えて見ましょう。何日か前に書きましたが、二重国籍の是非はともかくとしても、
①当該国の国籍法で許されない国籍のあり方である人が政治家であることを許す国はありません(日本国の法律は二重国籍を許していません)
②生まれてから現在に至るまでの国籍の異動について正確な情報を公開せずに政治家であることを許す国が世界中にあるとは思いません、
③まして、政治家が国籍について嘘の情報を提供して許される国はありません。
この単純な三原則に反論出来ます?
今回、問題になっているのは、政治家が自分の国籍が過去と現在どうなっているかを明らかにすべきかどうかということだ。一般人の言論とは関係ない。
したがって、それは、ここでの議論の対象でないが、ついでということで、少し私の意見を開陳しておく。
言論を行う場合に、匿名とかペンネームで行うことはいっこうに差し支えない。また、手法として外国人や動物の眼でみたらというのも、「ペルシャ人の手紙」とか「吾輩は猫である」とか古典的なものだ。
ただ、ある立場からの意見であるのに、それを隠して、言論を行うのは信義則に反することがあることまで否定できない。
たとえば、東京電力の社員が一般市民を装って原発問題について発言すれば、山口先生チックな人たちは猛然と非難するのではないかと思う。
それと同じ意味で、日韓・日朝・日中関係について、相手国の国籍を持つ人が、それを名乗らずにあたかも日本人としての意見のように語れば上記の場合と同じように、法的に禁じられるものではないが、アンフェアであろう。
山口さんや有田芳生さんたちの議論には、なりすまし日本国民的な言論について、批判されることを妨害したい意図があるのかもしれない。文句があるなら、原発について挙げた例についても問題なし、それをダメというのは、言論の自由への侵害だと仰っていただきたい。それなら、それなりに筋の通った意見だろう。