独南部レーゲンスブルクの「レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊」(Domspatzen)内で起きた性的暴行・虐待事件について、「最終報告書」(約450頁)が18日、公表された。過去2年間の調査を担当した教会側のウルリッヒ・ヴェーバー弁護士(Ulrich Weber) によると、世界最古の少年合唱団として有名な同聖歌隊内で1945年以来、547人の少年聖歌隊員が暴力、性的虐待の犠牲となったという。具体的には、500人は暴力、67人は性的虐待の犠牲者だった。容疑者は49人は起訴されたという。
報告書によると、犠牲者の一人は「合唱隊は刑務所であり、地獄のような場所だった」と証言した。性犯罪が多発した時期は1960年代から70年代。1992年まで暴行事件が起きている。レーゲンスブルク教区は犠牲者に対し、5000ユーロから最高2万ユーロの賠償金を提示したという。なお、今年第1四半期に発表予定の「最終報告書」が遅れたのは、「新たな情報が次々と出てきたからだ」(同弁護士)という(「独教会の『少年聖歌隊』内の性的虐待」2016年10月16日参考)。
ところで、なぜ愛を説くキリスト教会や教会関連施設で未成年者への性的虐待が多発するのかを少し考えてみた。教会側の主張によれば、聖職者や教会関係者による性犯罪の発生率は社会一般のそれより低いという。しかし、発生率が一般社会より低いという理由から、「聖職者の性犯罪問題はごくまれな例外的な出来事に過ぎない」と言い張ることはできないし、責任を回避できるわけではない。
世界のローマ・カトリック教会関係施設だけでも数万件の聖職者による性犯罪が起きている。それだけでも、ローマ・カトリック教会が組織犯罪グループといわれても仕方がない。カトリック教会の信者数が12億人を超え、世界各地で慈善活動を展開していることもあって、その暗闇の面は余り問題視されないが、カトリック教会関係者による犯罪件数だけをみれば、組織犯罪グループと呼ばれても本来、不思議ではないわけだ。
テーマに戻る。なぜ、イエスの愛を説き、慈善と奉仕をする聖職者が性犯罪を犯すのか。聖職者が神の存在を諭し、愛を説き、犠牲を強調するからではないか。聖職者が神の存在を無視し、単なる奉仕活動に専念するならば、教会関係者の性犯罪発生率は低下するのではないか。換言すれば、聖職者の未成年者への性犯罪が発生するのは、悪魔が存在するからだ。神を説く人間がいれば、悪魔は必ずその人間の傍に近づき、様々な試練を試みる。聖職者の性犯罪多発は、悪魔が存在する明確な証拠ではないか。
「悪魔の存在」は、「神の存在」証明と比較すれば、これまで、世の知識人たちの関心を引かなかった。フリードリヒ・ニーチェは「神は死んだ」と主張したが、「悪魔が存在する」と叫んだ哲学者は余り聞かない。せいぜい、スウェ―デンの国民的作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849~1912年)が「自分は神を探したが、出会ったのは悪魔だった」と慨嘆したことぐらいだ。(「悪魔(サタン)の存在」2006年10月31日参考)。
神を主張するような人間が現れれば、悪魔はその知恵を駆使し、その存在を葬ろうとする。その試みはほぼ成功し、多くの聖職者が倒れてきた。サタンはイエスに対してすら3つの試練を試みたほどだ。ちなみに、聖書には約300回、サタンという言葉が出てくる。
われわれは「神の存在」を久しく追及してきたが、神を見失ってきた。その最大の原因は神の存在を追求するあまり、その傍で冷笑している悪魔が存在することを完全に忘れてきたからではないか(「悪魔のPCには消却機能がない!」2016年3月6日参考)。
聖職者が神の話をするゆえに、サタンの試練を受けやすく、性的犯罪を犯す。なぜ性犯罪か。旧約聖書創世記を読む限りでは、人類の罪が蛇に象徴されている天使長ルーシエルの誘惑を受けて、不倫な愛を犯したことから始まったからだ。
なお、「レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊」での聖職者関係者の性犯罪問題について、前法王ベネディクト16世(本名;ヨーゼフ・ラッツィンガー)の実兄で合唱隊の責任者だったゲオルグ・ラッツィンガ―氏と、レーゲンスブルク教区責任者だった前バチカン教理省長官ゲルハルト・ミュラー枢機卿の職務怠慢と隠蔽責任に対する追及の声が出ていることを付け加えておく。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年7月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。