Nature誌に「Correction of a pathogenic gene mutation in human embryos」という論文がオンラインで公表された。受精卵に存在する遺伝性疾患の遺伝子異常部分を、ゲノム編集という手法を利用して正常遺伝子に置き換えることに成功したという話だ。私は、科学的に可能であったとしても、「受精卵や胎児の遺伝子に手を加えて治療する」という考えには反対である。今回の論文で、著者たちは、他のゲノムには影響を与えずに、病気に関連する遺伝子を正常に置き換えることが可能であると主張している。私は、どのような方法にせよ、外来遺伝子を導入する際には、リスクゼロにはならないと考えている。しかし、たとえ、彼らが正しく、リスクゼロであっても、このような方法で治療する必然性があるとは思えない。
異常遺伝子を、ゲノム編集という方法で置き換えて正常にする以上、母親、あるいは、父親のゲノム中の遺伝子異常は明らかになっていなければならない。ここで必要なことが遺伝学の知識である。優性遺伝病であれば、子供が同じ病気に罹患する確率は50%である(あくまで理論的であって、遺伝性乳がん遺伝子を持っていても、乳がんに罹患する確率は70-80%であるので、母親が遺伝性乳がん遺伝子を持っていても、子供が乳がんを発症する確率は35-40%である)。劣性遺伝性疾患である場合、両親は正常であり、子供は4人に一人の確率で発症する。
このゲノム編集が適応されるとすれば(繰り返して言うが、私は反対だ)、両親の遺伝子異常は明らかになっていなければならない。この場合、人工授精+初期胚の遺伝子解析によって、子供が病気を発症するかどうかを科学的に診断することができる。今や、一つの細胞のゲノム解析ができるような時代であり、1ヵ所の遺伝子異常を調べることなど、それほど難しくないのだ。子供が同じ病気に罹らないで欲しいという願いを叶えるためには、ゲノム編集などという技術を無理に用いて神の領域に立ち入る必要はない。
この初期胚診断を利用して「受精卵を選別する」というだけで、大声で反対する人たちが必ずいる。しかし、どんな立場や状況であっても、生まれてきた人間を尊重し、差別しない社会にすることと、自分と同じような重篤な病気になって欲しくないという親の願いまで無理に押さえ込む事は別だと思う。
もし、第1子が重篤な劣性遺伝性疾患を発症したとする。両親は必死でこの子供の世話をしているが、医学的には子供が成人になるまで生きる確率はゼロに近いとする。このような立場の両親が、健康な第2子を望むとする。私は親の情として当然だと思う。両親や家族の負担が大きい日本の社会ではなおさらだ。
その場合、ゲノム編集などという技術を使わずとも、受精卵3-4個と初期胚の遺伝子診断で、その願いは叶えられる。受精卵3個が、同じ劣性遺伝性疾患に罹患する遺伝子を持っている確率は、(1/4)の3乗で64分の1、4個あれば256分の1となる。すなわち、少なくとも一つの受精卵が劣性遺伝性疾患を発症しない確率は、3個だと98.4%、4個だと99.6%となる。遺伝子など下手にいじくらなくとも、今の技術でも親の希望は叶えられるのだ。
新しい技術が生み出されると、研究者は新しい技術を利用して今までできなかったことに挑戦しようとする。現実の医療でその技術が必要でなくとも、好奇心が追い求めるのだ。しかし、これらの技術の利用には、生命倫理学的な歯止めが絶対に必要だ。人間の欲望は尽きないので、いずれ、身長が高くなる遺伝子、鼻が高くなる遺伝子、知能指数が高くなる遺伝子と歯止めが利かなくなるかもしれない。
ゲノムそのものを編集して、人間を改変していく事は非常に危険だし、宗教に熱心でない私でも、神の領域を侵していると感ずるのだ。日本でもゲノム編集研究用に人の受精卵利用を認めようとしているとのことだが、私は反対だ。世界との競争に遅れるというのが理由のようだが、知的好奇心も神の領域という一線を踏み越えるべきではないと思う。米国は公的資金でこのような研究をする事は禁じているが、私的な資金でやるのはかまわないという倫理の二重基準だ。日本は日本として、日本人の見識で結論を出して欲しいものだ。
編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年8月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。