いつから医者は大丈夫と言えなくなったのか?

中村 祐輔

「コードブルー」という番組を見た。ネットに泣かせる話と書いてあったが、子供の心臓移植を待っている医師家族の姿は、確かに胸にジーンときた。しかし、私はこの番組の中に隠された意図を感じた。単なる救急ヘリの物語ではなく、今の医療の抱えている課題に刃を向られているような気がした。

(1) 番組の中で、「いつから医者は大丈夫と言えなくなったのか?」「医師の笑顔が、手術や薬よりも患者さんを救うこともある」(正確な表現ではないかもしれないが)と語る部分があった。私が臨床医をしている頃、末期がん患者さんに対して「大丈夫ですよ。もう少ししたら元気になりますから」と笑顔で語りかける場面が少なくなかった。しばらくして、患者さんから、笑顔で励ましを受けたことを感謝するお手紙を頂いたが、今でも、それを大切に保管している。

がんとは告知しない時代であったが、進行して一定の段階に達すると隠せるはずもない。しかし、阿吽の呼吸でお互いそれを理解した上で、励ますことのできる時代であった。医師は患者さんに寄り添い、患者さんも医師を慮る気持ちがあった。しかし、今は簡単に「大丈夫ですよ」などと言えなくなってしまった。患者さんが心細くて、不安で一杯であっても、医師が「大丈夫ですよ」などと言ってしまうと、そうでない場合、無責任の誹りを受けかねないのだ。ドラマでは、脳腫瘍の少女が、手術の後遺症を恐れ、手術を避けている間に、悪化してしまった。「大丈夫」の一言があれば、手術に踏み切れるかもしれないのに、それが言えないままに、患者の病状が悪化していく。難しい時代になったものだと思う。

私が医師を続けていて、もし、責任ある立場にいたらどうしていたのだろうか?きっと「大丈夫です」と笑顔でほほ笑んで、痛い目にあっていたのだろうと思う。不器用な生き方しかできないから、研究者になっていてよかったのかもしれない。

2. 患者さんが、「命」と「命より大切と思っているもの」の間で苦悶していたらどうすべきか?上述の脳腫瘍の患者はピアノで将来を嘱望されている少女だった。脳腫瘍の手術を受けると後遺症でピアノが弾けなくなるかもしれない。しかし、手術しなければ、確実に命を落とす。医師は絶対に後遺症が残らないと言えない。彼女にとって、ピアノが弾けなくなることは命を落とすことに等しい。

このような場面は決して稀ではない。乳がんに罹患した女性、特に若い女性は、乳腺全摘出術をできれば避けたいと願うことが少なくない。私が若くて青臭かった頃、愛があれば乳腺などなくとも生きられると信じていたので、乳腺をなくすと愛を失ってしまうと恐れる女性に気持ちが理解できなかった。何よりも命が最優先なのに、どうして迷うのだろうと思っていた。しかし、歳を積み重ね、いろいろな人生を送った人の話を聞き、「命」と「命よりも大切なこと」の狭間で揺れ動く気持ちが理解できるようになった。

そして、今の私ならどうするのか?やはり、「命あってこその人生です」と青臭く、患者さんに言うだろう。乳腺がなくなったくらいで気持ちが離れていく人は、別の理由で去っていくだろう。自分の愛する人を信じなさいと。いろいろなことを乗り越えてこそ、人生だと思う。生きていなければ乗り越えられない。

3.そして、小児の移植医療は絶望的だ。椎名桔平さんが演ずる(他の俳優は名前を知らない)医師が、拡張型心筋症で移植を待ちつつ、心筋梗塞から心破裂で術中死した子供の患者と、心臓移植を待ち続ける自分の子供を重ね合わせ、日本の臓器移植の惨状を振り絞るような気持ちで嘆く場面があった。「移植登録してから、平均約1000日待つ。綱渡りのような1000日。寝る前には、明日が来るのかどうか不安になり、今日が来ると感染症や血栓が心配になる。移植の順番が来ても、風邪をひいて熱が出ると、移植の順番が飛ばされる」。日本の臓器移植、特に小児の臓器移植は絶望に近い状況だ。ドラマでは、臓器移植を待つ子供が、両親に気を遣わせまいとする姿に胸を打たれた。脳死移植反対派には、こんな家族の想いが伝わらないのだろう。

他人の死を待たねばならない治療法だが、患者を救うための治療法は存在しているのだ。それができないのは、日本人自身の責任だ。脳死に疑問を呈する一方で、子供が海外で移植を受けるための募金運動に力を貸し、元気に帰ってくると「・・・ちゃん、良かったね」と平然と報道する。メディアの持つジキルとハイドの二面性が問題なのだ。命を救うことは大切だが、日本人の臓器は利用させない、こんな恥ずかしいロジックがまかり通る不思議の国アリスだ。医師たちは大きな声をあげたくとも、メディアの攻撃に晒されるのが怖くて、小声でしか、物が言えない。

それにしても、気に食わない人間を汚い言葉で罵倒しながら、自分こそ正義だと訴える社会、少しでも失言したり、不適切な行動があると袋叩きにあうような社会は、不健全な社会だと思う。ソルトレークに5年間住んでいたこともあり、モルモン教の方々にはお世話になったので、斉藤由貴さんには、バッシングにめげず、是非頑張って欲しいと願っている。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年8月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。