握手をする中国とお辞儀をする日本(完)

加藤 隆則

皇居前で玉音放送に聞き入る民衆(編集部)

終戦記念日が訪れた。72年前の8月14日、御前会議でポツダム宣言の受諾が決し、関係各国に通告された。日本の国民にとっては翌15日、前日に録音された天皇陛下の玉音放送が敗戦の記憶として刻まれた。厳密に言えば、日本政府がポツダム宣言に基づく降伏文書に調印した同年9月2日が、戦争状態を終結させる「休戦」の日であり、この日を記念する国も多い。

前にも書いたが、72年前のあの日、皇居には叩頭を思わせるような、ひれ伏す人々であふれた。悲嘆、失意、自責・・・安堵もあっただろう。神として崇められた天皇は人間に変わり、玉音放送が「なんじ臣民それよく朕が意を体せよ」と最後を締めくくったのを最後に、人々は「臣民」から「国民」に名を改めた。

昭和天皇はマッカーサー元帥を訪ね、握手で迎えられた。そして全国巡幸の際、一人の労働者から握手を求められ、

「日本には日本らしい礼儀がありますから、お互いにお辞儀をしましょう」

と応じた、昭和天皇が全国各地で日本人に握手をしていたら、その後の慣習にも少なからず影響を与えたかもしれない。だが、天皇は国民と同じ目線でお辞儀する態度を示した。あのひと言は大きな意味を持っていた。

林語堂は西洋の握手を毛嫌いし、「中国の奥床しい儀礼」である拱手(きょうしゅ)の品性を称えた。孫文が、清朝時代の「三跪九叩(三回ひざまずいて、それぞれ九回頭を地面に付ける)」を廃し、お辞儀の習慣を提唱していた時代だ。自由主義でありながら、道徳の伝統を背骨に負った知識人の態度があった。

「三跪九叩」は中国が近代、列強の進出に対し、大きな論争を生むマナーだった。1973年、英外交官のマカートニー、乾隆帝の面前で求められた三跪九叩頭の礼を拒否し、英国式のマナーで対した。1813年には同じく英外交官のアマーストが同様に拒否し、嘉慶帝への謁見を認められないまま北京を去った。華夷思想に基づく朝貢から、条約に基づく貿易への転換はとん挫し、やがてアヘン戦争の武力による開国へと突き進む。叩頭をめぐる儀礼論争は、主権と統治秩序の対立であったと同時に、「英国人は膝が固いが、中国人は柔らかすぎる」と中国人に反省を残すことになった。

中国人はその後、社会主義の平等思想を受け入れ、西洋のスタイルにならった握手を選ぶ。もう膝は屈しないと誓ったのだ。そう思えば、中国人の握手には、取ってつけたような異文化の猿真似ではなく、重い歴史の記憶が刻まれていることになる。45年前の9月29日、日中国交正常化のサインを終え、周恩来が田中角栄の手をしっかり握り、振り上げるように力を入れたのも、その重さの一つに違いない。

日本人は誤った侵略の道を進み、核兵器の実験場にされた挙句、皇居の前でひれ伏すしかなかった。その前日までであれば叩頭だったのだろうが、もはや叩頭のようにみえるが叩頭ではない。では何だったのか。屈服、服従だったのか。オルテガ、握手の起源を身分制度に基づく恭順と服従だと見抜いたように、人との接触には常に社会が広がり、関係が介在する。「国民」となった人々は、途方にくれながらも、新たな関係を探すべく歩み出したはずだ。

その後、天皇と国民はお辞儀する距離感で向き合った。新たな関係は探し当てられただろうか。みなが平等であるようにみえる社会の中で、一人一人が独立した考えを持ち、独立した個人として周囲との関係を築けているだろうか。国家の固い鎧は脱ぎ捨てられたが、別の新たな重しに身動きが取れなくなっていないか。その現実から目をそらせるため、タコツボに逃げ込んでいないか。

中国は苦闘から拱手、お辞儀を経て、握手にたどりついた。あの国は、我々の目に触れるこうした表面的な変化をも、伝統の中に飲み込んでいく。伝統だから不変なのではなく、変化そのものが伝統の中に沈殿している、そんなイメージだ。

日本は社会を根底から覆すような、瞬間的な、革命的な事件を経ていないことで、お辞儀文化の連続性が保たれてきた。戦時中、アジアでは日本の軍人や神社に対するお辞儀が現地人にも強制された。その同じお辞儀で、今の我々はつながっている。すぐに外来文化を取り入れ、物まねし、社会は大きく変わったように見えるが、実は不変を大事に抱え込み、それを伝統だと信じる。

あの日から何が継承され、何が変わったのか。冷静に考えてみるのも、いい夏休みの宿題になる。

「握手をする中国とお辞儀をする日本」をめぐる考察もここでいったんおしまいにする。新学期には、中国の学生たちと議論をしてみたい。
(完)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年8月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。