国慶節に届いた卒業生の手作りアルバム

10月1日から1週間の国慶節休暇に入った。4日は旧暦の8月15日、中秋節だ。多くの教師、学生は実家に戻った。家族団らんで満月を眺めるのが、伝統的な過ごし方だ。古人は、家族と離れ異郷で暮らす孤独を、中秋の名月に託した。

中秋節は月餅を贈り合うのが習わしだが、思いもよらないプレゼントが届いた。6月に卒業した汕頭大学新聞学院の卒業生たちが手作りのアルバムを作ってくれたのだ。

厚紙の表紙がついて、60ページを超える分量がある。最初の授業の思い出や、喫茶店で課題研究の議論をしたこと、一緒に山登りをしたこと、午後ずっとお茶を飲みながら将来の仕事や恋愛について語ったこと、大学近くのレストランで食事をしたこと、卒業式の前日、私の部屋に来て一緒に料理を作って食べたこと、ガウンと角帽をつけた卒業の記念写真撮影、そして、最後のページにはみんなでアルバムを作る光景まで紹介されている。さすがジャーナリズム学部の学生だ。

インターネット時代の到来で、あらゆるものがデジタル化され、コピーされ、自分の手で触れて感じる経験がますます少なくなっている。祝祭日のメッセージも携帯で自由自在に送られてくる。それでも、学生たちが手作りにこだわり、世界に一つしかない、オリジナルのアルバムを贈ってくれたことがうれしい。人の感情は複製ができない。そんな大切なことを教えてくれた。

私が大学に来てまだ1年。知り合ったのは彼女たちが4年生になってからだが、初めて接する日本人教師は興味深くもあり、非常に印象が強かったようだ。そんな思い出が微に入り細に入り書かれている。クラスでは決して優秀なタイプの学生たちではなかったが、授業時間外でよくおしゃべりをした。山登りに誘われ、早朝、リュックを背負って出かけた。課外の方が勉強になる、とはっきり言う学生たちだ。

望み通りメディアで記者をしている者、商学部も履修し会計事務所で仕事を見つけた者、ネットメディアで働く者、成長目覚ましいデベロッパーで営業をする者、それぞれが様々な道を歩み始めている。悩みがないわけではないが、地道に一歩ずつ進んでいる。卒業して、母校のよさが改めて身に染みたようだ。心のふるさとのように、戻る場所があるのはいい。いつでも大学は胸を開いてあらゆる者を等しく受け入れてくれる。

二年目に入りようやく、ただ一人の日本人教師の存在も定着し、クラスはいずれも満員でホッとしている。学生たちは教師と人間としての触れ合いを求めている。国籍は重要でない。人生の価値に国境の別はない。価値あるものを追い求めるうえで、生まれた国の違いはない。今年はどんな満月が顔を見せるだろうか。どにいてもみなが同じ月を見てる。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年10月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。