希望の党の公認を得られそうにない枝野幸男氏などの左派が「立憲民主党」を結成する。このネーミングは象徴的だ。彼らの最後のよりどころは「立憲主義」。左翼の衰退を象徴するスローガンである。戦後の「革新勢力」の最盛期には、憲法なんか争点になっていなかった。彼らのめざしたのは社会主義だった。
それが冷戦の終了で使えなくなり、社会党は土井たか子委員長のように「憲法を守れ」というだけの一国平和主義の党になったが、村山首相が自衛隊と安保条約を認め、そのコアもなくなって自滅した。それでも憲法改正に対する拒否感は国民に強かったので、2009年に民主党が政権を取ったときも憲法にはふれなかった。
ところが2014年に安保法制が国会で審議されたころから、朝日新聞が立憲主義という聞き慣れない言葉を使い始めた。これは具体的には1972年の集団的自衛権に関する内閣法制局見解を安倍首相が変えるのは「解釈改憲」で立憲主義に反するものだというのだが、法制局長官は首相の部下であり、内閣が行政を支配するのが立憲主義である。
朝日も自衛隊を認めたので「憲法9条を守れ」とはいいにくくなり、今度は解釈改憲に反対して立憲か非立憲かという防衛線を張ったのだが、これはわかりにくい。野党も最初は歩み寄り、2014年の閣議決定はそれほど大きな騒ぎにはならなかった。
ところが2015年の憲法審査会で、自民党側の参考人として出席した長谷部恭男氏が「安保法制は憲法違反だ」と言ったため、安保関連法案が国会の争点になり、「強行採決」などの騒ぎになった。前年の閣議決定は認めたのに関連法案が憲法違反だというのは辻褄が合わないが、民主党はこれで内閣が倒せると思ったようだ。
ところが朝鮮半島で不穏な動きが出始め、野党も日米同盟を否定するわけには行かないので、立憲主義という手続き論しかいえない。今まで政治の表舞台には出なかった憲法学者が、にわかに反政府運動の主役になって「閣議決定はクーデターだ」といった倒錯した論理を展開した。
――こういう脱線の連続で、立憲主義という無内容な言葉が左翼の最後の抵抗線になったが、これは民進党にとっては党内を分断する線だった。彼らの支持基盤はマスコミしかないので、護憲派がマスコミの多数派である限り、国会では立憲主義で戦うしかないが、そんな憲法論争で政権はとれない。民進党がこのジレンマを脱却するには、今回のようなギャンブルしかなかったともいえる。
平和憲法は戦後日本の「表の国体」だが、緊迫する国際情勢のもとで、日米同盟という「裏の国体」が表に出てきた。立憲主義はその矛盾をおおい隠す「イチジクの葉」だった。立憲民主党は玉砕してすきま政党になるだろうが、これで戦後ずっと続いてきた左翼の欺瞞が終わるのは悪いことではない。真の政策論争は、そこから始まる。