リベラルが極左の隠れ蓑になるまでの残念な歴史

Wikipedia:編集部

「立憲民主党は恥知らずな“偽リベラル”の巣窟」では、欧米における正しいリベラルの定義を解説したが、その補足として、日本でなぜ極左的な勢力が「リベラル」と名乗るようになったかを糾弾しておこう。

山口二郎先生が「立憲民主党には、石橋湛山以来の日本リベラリズムの伝統を引き継いでもらいたい。何よりも戦争に反対する、国権主義に反対し小日本主義を唱える、国民生活を支えるための積極財政などが、日本リベラリズムの太い柱」と仰るが、石橋湛山は憲法改正・自主軍備を主張していたし、池田勇人と似た路線の市場経済重視論だったはずで、まことにおかしい。

「安倍政治が右に引っ張ってゆがめた日本政治を、本流に引き戻すのがリベラルだ。安倍自民党がおかしくなったから、かつての宏池会や経政会が行った政治を引き継ごうとしているのが立憲民主党なのだ」とおっしゃるが、はたして、山口先生も含めて、いま、立憲民政党に集結している人たちの主流、さらには、リベラル結集と叫んでいる人たちやマスコミは、石橋・池田・佐藤・田中・竹下・宮沢内閣のころに自民党をそんなに熱烈に支持してきた人たちナノだろうか?

だいたいは、社会党支持、あるいは共産党、さらには、極左勢力の支持者だった人たちだと思うし、それを反省してあのころの自民党を支持すべきだったといっているのでもなさそうだ。

石橋湛山については、池田信夫氏が書いているのでそちらに詳細は譲るが、石橋は強烈な経済合理主義者であって、戦前の小日本主義も、大陸への投資が経済的に引き合わないという趣旨だった。そして、 熱河侵攻や国際連盟の脱退も支持した。戦後も熱烈な憲法改正・再軍備論者だった。反米は、鳩山一郎の場合と同じく公職追放の恨みということも大きな理由だ。

財政積極主義が、リベラルの主張だというのも疑問だ。たしかに、アメリカでは共和党が小さな政府指向で、それに対して、民主党が大きな政府指向だ。しかし、ヨーロッパでは社会主義者は大きな政府だが、中道リベラル派がそうとは限らない。

日本では、野田・山口・谷垣のリベラル三者合意が消費税引き上げで、安倍首相が消極的という図式でこれまで展開してきたのでなかったか。

私は、平成の世でリベラルと称している人たちは、学園紛争の時代までバリバリの左翼だった人たちが、就職して大企業などで恵まれた生活を送り、ソ連・東欧の社会主義崩壊や中国の変容で論理破綻し、照れ隠しで進歩的気分を維持したくてリベラルという仮面を被っていたのだと思う。

ところが、彼らも定年退職して年金暮らしになり、膨大な財政赤字を自分たちが積み重ねておきながら、手厚い高齢者福祉を続けて欲しいという世代的利害の擁護者になった。そして、安保法制の議論では、これまで集団的安全保障の必要性増大はほとんどコンセンサスになっていたのに、些細な手続き論を突破口に、いったいなにをどうしたいのか不明なかつての非武装中立論チックな議論に逃げ込んだ。

そこでは、学園紛争のときにヘルメットを被った世代が歌声喫茶で反戦フォークを歌うような気分が充満していた。

国土グループやシャープといったバブリーな企業の広告塔として財を成してきた吉永小百合が、そうした企業の凋落ののちに、かつてやりたくてやれなかった反戦活動化の女神の役割を楽しんでいたのはその象徴だった。

拙稿:「完璧なビジネスウーマン」吉永小百合が脱いだリベラルの仮面(irrona)

気の毒なのは、彼らの放埒のつけを払わねばならない若年層だから、彼らは財政赤字の問題に敏感だし、一国平和主義で問題先延ばしして誤魔化し続けることが、将来の問題を大きくすることも理解しているから、保守派を支持している。

また、IT化に伴う社会変化にも、国際的な常識に沿った管理強化にも理解があるが、高齢者は窮屈で嫌がる。要するに、山口先生がいうリベラルとは、都知事選挙で鳥越氏に投票したような、「先送り願望」の高齢者の世代的利益の擁護者のことなのである。

ただし、私はリベラルとか左翼を不要だとか思っていないし、絶望しているわけでもない。フランスにおけるマクロンの実験は、選挙戦術以外は希望の党と似てないし、日本の立憲民主党とは何の共通点もないが、ひとつの希望だ。

また、ぶれない左翼政党は、それなりの価値があると思う。私は立憲民主党のような仮面政党は大嫌いだが、社民党などいつまでも変わらない主張を正々堂々と飾らず続けてくれていることは、価値があるし好きでもある。共産党は戦術的にいっていることと本音に乖離がありすぎて嫌だ。

国際化ということでは、左翼といわれる人たちが、孤立主義へ向かいがちなのはいかがなものかと思う。むしろ、国際的な制度統一のなかで、国際的な企業や金持ち優遇の解消に向かうのが私は王道だと思う。