応援弁士デビュー。立憲民主党荒井さとし候補の応援演説。10月21日9時半から。是非、読んで欲しいのだ。
皆さん、おはようございます。常見陽平と申します。札幌市南区藤野出身です。物書きをしております。千葉の大学で教員をしております。
どうしても、荒井さとし候補を、立憲民主党を応援したくて、居ても立ってもいられず、駆けつけました。
安倍さんは、自民党は5年前、2012年の衆議院選挙でこう言いました。
「日本を、取り戻す。」
私は、今、こう言いたい。いや、私の言葉ではなく、私たちの言葉として、みんなで、こう叫びたい。
安倍さんから、自民党から
「民主主義を、取り戻す。」
日本の民主主義が危ない。
私は、警鐘を乱打したい。
民主主義は、単なる多数決ではありません。イデオロギー、スタンスを超えて議論し、少数意見にも光を当てる。そして、合理的に合意を形成する。これが民主主義です。
対話を避け、議会を簡単に解散するのは、我が国の民主主義が幼稚な証拠です。国家や議会の私物化です。
安倍さんは、自民党はこう言いました。
「国難突破解散」だと。
私はこう問いただしたい。
では、その「国難」は、誰が作ったのか、と。
全部とは言いません。でも、その一部は、安倍さんが、自民党が作ってきたのではないですか。
TBSラジオ「Session-22」という番組で、時事芸人のプチ鹿島さんはこんなデータを紹介していました。各党の公約の中で、「国難」という言葉を使ったのは、自民党だけです。与党である公明党は、この言葉を使っていません。他の政党も、一言も言っていません。
この「国難」なるものは、自作自演の「国難」ではないでしょうか。安倍さんの言葉を借りるならば、これこそ「印象操作」ではないですか。
安倍さんはよく、こんなことを言います。「自民党には政策がある」「対案を出せ」と。
でも、本当でしょうか。
今回の自民党の公約、朝日新聞の調べによると、「改革」が40回、「革命」が26回、出てきます。
「革命」とは本来、「従来の被支配階級が支配階級から国家権力を奪う」ことを意味します。単なる言葉のインフレではないですか。人類が起こしてきたこれまでの革命に対して失礼です。
「改革」にしても、これまでの取り組みが上手くいったことになってしまったことになっています。「働き方改革」だって、最初はワーク・ライフ・バランスの充実なんてことを言っていたのに、いつの間にか生きるか死ぬかのライフの話にすり替わってしまいました。国民の意見を聞いていることを装って、労働者を定額使い放題にする「働かせ方改悪」が行われようとしていませんか。
日本経済新聞の社説は、自民党の政策についてこう書いていました。「着眼点は正しくても、スローガンだけが先行している印象だ」「中身を語らなければ単なる決意表明だ」と。
これもまた、「印象操作」ではないでしょうか。普遍性を装った、美しい言葉に手懐けられてはいけません。
安倍さんから、自民党から
「民主主義を、取り戻す。」
今回の選挙は、私たちが「民主主義を、取り戻す」闘いなのです。
みんなの民主主義なんですよ。
この国の暴走に、民主主義の蹂躙に、ブレーキをかけなくてはなりません。力の強いもの、大きな権力を監視しなくてはなりません。社会に自由な気風を保たなくてなりません。
日本には、もうひとつの、強い選択肢が必要です。
右、左ではく、上からか草の根からか
右、左ではなく、前へ
まっとうな政治
私はこの立憲民主党のスタンスに大いに共感、賛同します。
「枝野、立つ。」
枝野幸男さんが立ち上がってくれて、私は本当に嬉しかった。
そして、この北海道3区から、札幌から荒井さとし候補が立ち上がりました。それだけでなく、全国で立憲民主党の候補者と、支持者が立ち上がりました。
日本に足りないものが3つあります
民主主義が足りない
立憲民主党が足りない
荒井さとしが足りない
安倍さんから、自民党から
「民主主義を、取り戻す。」
ここ札幌から、北海道から、民主主義を問い直し、取り戻すためにも
もう一度、立憲民主党の荒井さとし候補に国政に立ってもらいましょう。
荒井さとし候補と、立憲民主党の応援をよろしくお願いします。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年10月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。