亡き父は、選挙速報が大好きで、珈琲とタバコを完璧に準備し、ずっとテレビにかじりついて見る人だった。私は幼い頃、選挙ごっこが好きで。4歳くらいの頃にはタスキをかけて、近所を「よろしくお願いします」と連呼してまわった。街宣車に乗るのも夢だった。・・・あれ、選挙カーって言うんだっけ。
立憲民主党候補の応援のため、選挙カーの上で演説するという稀有な機会が。この貴重な体験を共有しよう。
1.お立ち台に登るのは、なかなか怖い
→車の後ろについているハシゴで登るのだが、決して大きなものではないので、登るだけでちょっと怖い。やや不安定。この登る様子で有権者に不安を与えてしまうことも。鳥越俊太郎が都知事に立候補したのは、もはや都民にとっても、本人にとっても黒歴史として忘れられているが、見ていた人によると、ハシゴを登る様子がやや不安定で、老人感、病人感が半端なく、不安になったとのこと。
さらに上に登ってからが怖い。普通に大きな車で、その上に乗るので、自分の視点は4メートルくらいの高さになる。プロレスでトップロープから場外に飛ぶ人の怖さがよくわかった。
2.スピーカーの数でも差が
→今回、準備期間が足りなかったことなどもあり、選挙カーはスピーカーが前2発、後ろ2発の4発。本当は前後4つずつの8発が理想なのだとか(演説でも触れていた)。
なお、ライブ会場のようにモニタースピーカーがあるわけでもなく。いつもハウリングに気をつけなくてはならない。だから、選挙カーの手すりの前にせり出すようにして演説をする。これもまた、怖さを増幅。
お立ち台での音と、外の音は違う。自分の声が届いているか不安になり、ますます声が大きくなる。
3.分かりやすく、情熱的に話さなくてはならない
→オーディエンスは熱心な支持者もいれば、通りがかりの人もいる。ましてや前述したように、音響が良いわけではない。普段の講演や講義とは違う。小難しいことは言えない。わかりやすく、フレーズが残るようにしないといけない。
そうだろうなあと最初から意識しており。私は今回、「民主主義を、取り戻す」というフレーズを何度も言うことにしていた。
また、目の前にオーディエンスがいることもあれば、道路を挟んで見ている人もいるので、やはり腕を振り上げる、拳を振り下ろす、様々な方向を見る、手を振る、指で数字を示すなど、わかりやすいアクションが必要。
よく選挙は、政党名、名前、キーとなる政策(安全保障、消費税、原発に対してイエスかノーかなど)を連呼する場、連呼合戦でどうなのかという声もあるわけだが、そうなってしまう理由がちょっとわかった。
・・・でも、高揚感あったよ。
さて、これから東京に飛んで投票。選挙行こうね。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年10月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。