価値情報がないと、市場原理は機能しない。このことの例示として、片山敏彦の『精神の風土』(1950年 池田書店)という本の話をしよう。
片山敏彦といえば、ドイツ文学とフランス文学に通じ、ロマン・ロランの翻訳でも知られ、また、多くの文芸評論もした人だから、それなりに有名である。みすず書房から著作集も出ているくらいだ。
片山敏彦は、私にとっては、非常に大事な人で、その著作は、ほぼ全て所有しているのだが、この『精神の風土』だけは、入手が著しく困難だった。長年、探していたが、本の実物を見たこともなかった。出版直後に版元が倒産するなどの不幸があって、おそらくは、残存部数が極端に少ないのであろう。
ところが、あるとき、非常に驚くべき事実を発見した。なんと、ヤフオクで、たったの500円で落札されていたのだ。これは衝撃であった。落胆、計り知れず、心底、がっかりしたものである。
このヤフオクの出品者は、古書の価値に関しては、明らかに無知である。文芸書の場合は、学術専門書に比べて、はるかに市場が大きく、片山敏彦の価値情報も流通しているはずだから、それなりに知識のある古書店を介していれば、それなりの高値で取引されたであろうことは、まず間違いない。
専門的知見のある古書店や蒐書家だけが取引参加者であれば、その狭い世界のなかでは、少ないながらに一定の数の取引が継続的になされ、価値を反映した相場が安定的に形成されていたはずなのである。しかし、時代が推移し、片山敏彦の名前が徐々に忘れられ、専門的知見のある古書店が減り、私のように片山敏彦に特別の愛着をもつ蒐書家も高齢化して減っていく。そうなれば、市場を支える参加者の間で価値情報が流通しなくなり、取引はなくなり、市場は機能しなくなるのだ。
他方で、ヤフオクのようなものは、多数の素人を呼び込むことで、狭い市場を一気に拡大するので、取引機会は多くなるだろうが、価値情報の流通は十分ではなく、価格は正当な価値を反映したものとはならない。
さて、古書についてみる限り、ヤフオクのような広く開かれた市場と、専門家で構成される狭く閉ざされた市場と、どちらが真の市場原理を実現しているであろうか。広く開かれた市場では、価値情報の非対称性により、安い値段で買える可能性が高くなる一方で、買えるかどうかは、偶然の巡り会わせになる。他方、専門的知見のある古書店によって支えられていた狭い市場では、価値情報の対称性により、高い価格を払う必要があるにしても、欲しいと思った本を手に入れられる確率は高くなる。
需要に確実に応えるのが市場の使命なら、価値情報の対称性こそが重要であり、そのとき、価値を反映した価格が形成されることこそ、市場原理の本質ではなかろうか。
蛇足だが、その後、私は『精神の風土』を適正価格で古書店から入手した。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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