裁判で全容を解明することは不可能だ!

刑事訴訟でも民事訴訟でも、訴訟が提起されると「法廷で全容が解明されることを願います」というような発言が関係者からしばしば発せられます。

そして、訴訟が終了した時、「全容が解明されなくて大変残念です」という言葉もよく耳にします。
もしかしたら、メディア関係者の中にも同じような思いをしている人たちがいるのかもしれません。

テレビドラマや映画の裁判モノだと、それまで謎だった部分が法廷で一気に解明されるので、それを見て誤解してしまうのでしょう。現代の訴訟では、裁判所は「争点についてのみ判断する」のが大原則で、それ以外の事情は判決理由部分で触れるのが精一杯なのです。

例えば、鉄道事故や原発事故で経営者が刑事訴追されたとしましょう。業務上過失致死罪ということで。

刑事法廷では、検察官が、被告人に「過失」があり、当該事件の被害者の死亡との間に「因果関係」があるということを主張して証明するだけです。

一方、弁護人は、過失の存否と死亡との因果関係の存否につき、合理的な疑いを差し挟む余地があることを主張立証することが最終目標となります。

具体的には、「法律で決められた基準や安全設備を施していなかった」「それが原因で起きた事故で被害者が死亡した」「安全設備を施していれば死亡事故は起こらなかった」…といったあたりが争点となり、争点と関係のない事情は法廷では原則として争うことはできません。

週刊誌などが、当該会社の社風、歴代の経営者、被告人の異性関係、政府との癒着…云々を報じることがあります。
しかし争点に全く関係のない事情は、法廷で明らかにすることは禁じられています。争われているのは、起訴された被告人の過失によって被害者が死亡したか否かという点のみなのですから。

大岡越前守や遠山の金さんのように、当事者(刑事事件では検察側と弁護側)が争っていない事情を裁判官が勝手に調べてきて「お裁き」を下すようなことは今の裁判ではあり得ません。万一そのようなことがあれば、完全な不意打ちとなってしまいます。被告人の防御の機会を奪う不公正な裁判と言わざるを得ません。

民事事件となるともっとドライで、当事者が主張立証しない事柄について裁判所は決して判断してはならないのです。

原告が1000万円を支払えと請求したとしましょう。
明らかに時効が成立していたような場合でも、被告が時効を援用しない以上、裁判所は時効を考慮してはならないのです。被告の他の主張立証に理由がないと判断すれば、裁判所は「被告は1000万円と遅延損害金を原告に支払え」という判決を下す義務があるのです。

このように、法廷はお白州ではありません。
ドラマや映画は、全容を解明しないとストーリーが成り立たないからそうしているだけなのです。
くれぐれも、裁判に過大な期待を抱かないようご留意くださいね。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年10月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。