10年後が予測できない世の中ですから、
「直線型」だけでなく「回旋型」の
人材も大切。
ラボでは、回旋型人材をどんどん輩出
してほしい。
―山中伸弥氏
アプローチは、変遷していいと
思うんです。
こうありたいというビジョン、
世の中を少しでも良くしたいという
「志」さえあれば。
―畑 恵
「不変」の志のため「変化」を選ぶ。非直線型のキャリアデザイン
畑:医学の道を志されたのは、お父様の勧めと伺っていますが。
山中:父は工場の経営をしていたんですが、跡取り息子の僕に仕事を継げとは言わず、高校生くらいの時から医者になれ、医者になれと言っていました。糖尿病と肝炎を患っていたため、息子が医者になってくれたら嬉しいと思ったのかもしれませんが。
畑:お父様から託された夢を叶えたい、そしてお父様の病気を治したいというのがモチベーションになったと。
山中:医学に対する興味が生まれたのは、父親がきっかけだと思うんですが、当時は「お医者様」って感じで医師の力が圧倒的に強く、夜間診療もしていないとか。そんな中で、患者さん本位の医療をやろうというドクターが出てきて、そういう人の本を読んで、高校生くらいですから感化されやすいんですね。これは、すばらしいな、自分も医者になりたいと思ったんです。10代って、そういう正義感とか反権力主義とか持ちやすい年齢じゃないですか。
畑:私がジャーナリズムを志した動機も同じでした。真実を一人でも多くの人々に伝えることによって、理不尽で矛盾だらけの世の中を少しでも理にかなった社会にしたい。ひたすら正義感に燃えていた気がします。先生も権威主義的なお医者様でない、市井の人々を救う医師を目指されたと。
山中:僕は、大学の医学部では整形外科医、中でもスポーツ医を目指していました。自分も柔道やラグビーをやってしょっちゅう故障やけがをして、涙が出るくらい痛い。ただそれでも練習をしないとレギュラーになれないというツラさがわかる。そういう選手を専門に診る医者になりたいというのが、学生時代のビジョンでした。
畑:実際、整形外科医になられましたよね。
山中:はい。ただ最初に大きな大学病院に勤務したこともあり、患者さんの大半は重症のリウマチや骨肉腫といった重篤な病気やけがの人ばかり。とにかく、まったく治せない。自分にとって整形外科のイメージは、スポーツ選手を治して元気に帰っていくという明るいものでしたから、実際医師になってみると全然違った。
畑:私も大学卒業後に念願のNHKに入局したんですが、自分の意思や考えを表現する機会が制限されていて随分とまどいました。ディレクター志望だったのに、配属先がアナウンサーということもあったとは思いますが。先生はその後、医師から研究者へと転身されますね。
山中:ええ。実は父親が亡くなってしまい、病気だった父に結局何もしてあげられなかったことで、医師としての道をどうドライビングしたらいいかわからなくなってしまって。そういうことがきっかけで始めたのが、研究なんですね。研究というのは時間がかかるけれど、今は治らない、治せない患者さんを将来治す可能性がある。学生時代に考えていた自分の将来とは、全然違うことを今やってるんですね。
畑:実は、先生が研究者という新たな道を選ばれた同じ年に、私もNHKを退局しフリーランスのキャスターとなりました。その3年後には文化政策や文化行政を学びに、パリへ留学。帰国後、文化予算の増額を国会議員に陳情したところ、「そんな金にも票にもならないこと、(国会に来て)自分でやったら」と言われまして。結局、国会議員になりました。
山中:国会では、研究成果が海外に流出してしまわないよう、基礎研究から実用化まで一貫した日本の科学技術体制を整備することに取り組まれていましたよね。
畑:山中先生からもご指導をいただいて、議員立法を目指したのですが。そういう自分が、今は教育に携わっているのも不思議な話だと思います。
山中:割と日本の文化、社会というのは、直線型と言いますか。あまり変えない、この道一筋何十年という人が尊敬される。それは非常に良いことだとも思うんですが、アメリカには直線型の人と同じくらい、クルクルやることを変える人も多い。僕は、「回旋型」って呼んでるんですけど。
畑:先生も螺旋階段を上るよう華麗な転身をされ、ノーベル賞という頂点をきわめられました。
山中:いえいえ。僕も同じことをずっとやっていると飽きちゃうというか。ただ、それは日本の文化とは相いれなくて、すごく引け目があったんです。でもアメリカに行くと、面白い人がいっぱいいた。例えば、iPS細胞のような新しい技術に、直線型がほとんどの日本人は飛びつかないんですね。アメリカは両方のタイプがおられるんで、回旋型の研究者はパッと今までの研究が残っていても飛びつく。だから、その研究がどっちに転んでも、アメリカはうまくいく。アメリカの多様性ですね、多様な人を認める強さというか。
畑:アカデミア・ラボという建物も、直線を極力使わないでほぼ曲線でできてるんです。階段も螺旋階段ですし。均一で直線的な方が、教育現場も効率的ではあります。でも作新には、幼稚園から大学・大学院まで幅広い年齢層の子どもたちがいて、東大・京大に入学し医師や官僚になる子もいれば、オリンピック選手になる子もいる。商業や工業系で学んで、地域を支える礎(いしずえ)になる子も大勢います。
山中:今、学校に必要なのは、直線型と回旋型、両方いて良いんだというふうに育てることですよね。絶対、両方の生徒さんを育ててほしいです。
畑:日本の学校教育全体で、取り組むべきことですね。自分も回旋型で職業は色々変わりましたが、振り返ると“思い”は常に一つだった気がします。ほんの少しでもいいから世の中を良い方向に変えたい。そこは死ぬまで変わらないと思います。
山中:終身雇用や社会保障といったシステムが変わっていく中で、直線型が一番安全という構造では、もはや日本社会はなくなっています。イノベーションが次々起こり、10年、20年後がどうなっているか本当に予測できない世の中ですから、直線型だけでなく回旋型の人材を日本はもっと輩出していかないと。そういう意味で、アカデミア・ラボでの教育は、非常にそういうことにつながると期待しています。
基礎研究とは、「0(ゼロ)から1」
を生み出す仕事。
その1を100、1000と発展させ実用化
するには 多様な才能や人材、つまり
「チーム」の力が不可欠。
―山中伸弥氏
多様性とは、強靭で豊かな未来を生む母。
均一的な教育は効率的ですが、
“違い”があるからこそ広がり、深くなる。
―畑 恵
一人では社会を変えられない。必要なのは多様な「チーム」の力
畑:先生はプレゼンテーションの最後に、必ず「うちのオールスター・キャストです」って、スタッフ全員の集合写真をパワーポイント画面に投影されますよね。それも研究者だけでなく、ラボテクニシャンや事務職員の方もすべて一緒に。
山中:それはみんな一緒に研究に参加してくれている仲間ですから、当然です。彼らの働きや頑張りなしに、どんな研究成果も生まれませんから。
畑:そうした卓抜したチーム力がおありの山中先生だからできるのでしょうが、研究成果を実用化したり、大きな研究所のマネジメントをなさるのは、ノーベル賞を獲得するのとはまた違う能力が必要ですよね。
山中:そうですね。研究にはいろいろな段階があって、基礎研究というのは0(ゼロ)から1を作り出す研究。iPSができるまでは、僕は基礎研究者で最初は1人、その後も5~10人の小グループで行いました。でもその1を10にし、10を100にしという応用研究になると基礎研究者とは違う才能が必要になります。さらに100を1000にという実用化への段階となると、患者さんを診ている臨床医や、特許や生命倫理の専門家、研究内容を社会に発信するコミュニケーターなど、いろんな人材がいないと、1を10に、10を100に、そして1000にとは行かない。そこで必要になるのが「チーム」なんです。
畑:グループとチームは違うんですか。
山中:グループは、基礎研究者のグループというように同じような人が集まったもの。チームというのは、色々な違う才能の人たちが集まって構成するもので、グループとチームは明らかに違うと思うんです。基礎研究者だった僕に、チームを作るっていう課題がいきなり降ってかかったような。
畑:0から1を生み出す能力と、1を100、1000にしていく能力は、まったく別の才能だと思いますから、通常は別の人が担当すると思うんですが。
山中:だから、僕も本当はやりたくないんですよね。0から1をやりたくて研究者になったわけですから。
畑:でも実際、見事に実用化や研究所のリーダーを務めてらっしゃる。私は研究者だけでなく、マネジメントの才能もすごくおありだと思います。
山中:いえ、経営者だった父から、絶対におまえは経営に向いていないからやめておけって(笑)。ただ、このまま放っておくと1から100、1000へというところが、全部海外に流出してしまうんじゃという恐怖心があって。だから向いていないながらも、チーム作りを始めたわけです。
畑:たしかに日本の科学技術体制というのは、基礎研究と応用・実用化研究の間に大きな断絶があって、貴重な研究成果が海外に流出してしまっている事態は危機的です。山中先生のように研究と経営双方に高い能力をお持ちの方が、日本のiPS研究という重要分野に存在してくださることが何よりの救いです。
山中:いえ、僕は研究者ですから、研究者は研究、経営者は経営と、僕に代わって実用化やマネジメントを担当してくれる人をいつも虎視眈々と探してるんですが。
畑:でも、0から1の研究成果を生み出すだけでは、先生の志は満たされないんじゃないですか。
山中:あ、…そうですね。
畑:先生が医師を目指された時のビジョンというのは、目の前で救われる人が現れて初めて達成されるわけですよね。
山中:はい。
畑:だから先生は必死になって、そこまでは頑張ろうとされているように、私には思えます。
山中:基礎研究って始めてしまうと本当に面白いんです、0から1を作るっていうのは。今まで世の中の誰もやっていなかった、誰も知らなかったことを明らかにするっていう作業は、基礎研究者にしかできない特権みたいなもので。しかも、そこでは、あらゆる失敗が許される。一方、臨床医っていうのは本当に厳しい世界で、教科書、プロトコル通りにやらないと大変なことになってしまう。
畑:違ったことをして失敗したら、患者さんの一生を変えてしまいかねませんよね。
山中:だからいつも極度の緊張感がありました。基礎研究をやりだすと、そこは全部解放されて、もちろんいい成果が出ないとストレスはありますが、臨床医の時のストレスとは全然違うんですね。だから基礎研究者としては、僕は1までやったんだ。あと、1から10、100にしていくのは他の人の仕事だと。
畑:普通の基礎研究者ならそうですよね。でも、山中先生は違った。
山中:たしかにiPSに関しては、ちょっとそういう考えはなかったですね。iPSは0から1の1が、患者さんに近いんです。もともと患者さんの細胞ですから、難病の○○君のiPS細胞って感じで。○○君の病気を食い止められるか、少年の運命がこの細胞の研究にかかっていると。
畑:患者さんの顔が見えるんですね。
山中:そうなんです。普通の基礎研究だったら1のところで患者さんの顔が浮かんだりしないです。iPSの場合は浮かぶんで、もうなんとかしたいと思ってしまう。それもあって、1から10、100というところにも、いまだに関与しているんだと思います。
畑:山中先生が臨床医、研究者、経営者と色々な人生を歩まれているのも、病に苦しむ誰かを一人でも多く救いたいという、高校時代に抱かれた初志を貫き続けているからなんですね。その結果が、ノーベル賞に至るわけですから。
山中:いえ、ノーベル賞は欲しいと思ったことは本当になくて、いわば、副産物。そう言ったら失礼なんですけど。ただ、普段、研究にしても、柔道やマラソンにしても、それなりの目標は決めてやってます。そこまでは頑張ろうという積み重ねが、自分のライフスタイルになってますね。
畑:マラソンも、先日の京都マラソンでまた自己ベストを更新されましたよね。是非マラソンとともにiPS研究の第一人者として、世界のトップを今後も走り続けてくださることを、心からお祈りしています。
山中:ラボの今後を楽しみにしています。頑張ってください!
〔3〕につづく・・・
編集部より:この記事は、畑恵氏のブログ 2017年11月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は畑恵オフィシャルブログをご覧ください。