クールな日本とクールな地方

「クールジャパン」は、日本固有の付加価値の創造である。グローバル経済において、日本は「クールジャパン」でなければならない。それと同様に、日本経済において、地方は、地方独自の付加創造を行うことで、「クールな地方」でなければならない。地方を「クール」にすること、それが地方創生である。

全国どこへ行っても、真直ぐに走る新設の主要道路沿いに、同じ流通業や外食産業の企業の店舗や看板がひしめき、同じ形の建売住宅が立ち並ぶ姿は、その裏に、古くからある狭く曲がった道沿いの伝統的な市街地の廃墟化を伴っているわけで、少しも「クール」ではない。また、大企業の工場誘致を喜び、その工場の撤退を憂うる姿も、地方経済の従属的状況の象徴であって、少しも「クール」ではない。

しかしながら、同時に、濃厚な地方色などというものは、今どきは、歴史的残滓にすぎないわけで、そこに郷愁を感じることはできても、経済の成長の可能性を見ることはできない。故に、昔ながらの地方という幻想的なものも、「クール」ではない。

「クールジャパン」は、まさか、「フジヤマ、スキヤキ、ゲイシャ」の延長にあるわけもなく、矮小化され、奇形化され、骨董趣味化され、過剰に「日本的」にされ、幻想化されたものであるはずもないわけで、同様に、「クール」な地方は、郷愁を誘う田舎らしさにあるわけでもない。

伝統的な陶芸が「クール」なのではなく、日本製陶業の長い歴史のなかから創造された高度なセラミクス技術が「クール」なのである。浮世絵が「クール」なのではなくて、特異な表現技法の先に生まれた「マンガ」や村上隆のアートが「クール」なのである。

伝統的な地方色が「クール」なのではなくて、その先に新たに「クール」なものを創造しなければならない。それが地方創生である。地方創生には、もはや、ゆるキャラも、テーマパークも、道路も、空港も、大企業の工場誘致も、体育館も、公民館も出てこない。同時に、特産品も、温泉も、城の天守閣の再建も出てこない。いずれも、何ら創造的要素がなく、少しも「クール」ではない。「クール」は、価値創造でなければならないのである。

地方創生とは、地方にないものを外からもち込むことではない。これまでは、地方経済のあり方は、全て、地方にないもの、即ち、道路、空港、工場、観光地などを、外からもち込むことであった。その結果、地方は中央へ従属することとなり、独自の経済圏としての地方は消滅したのである。消滅したからこそ、新たに創生する必要があるというわけだ。

ならば、地方創生は、その地方にしかないもの、真に固有なものを活かすことになる。真に固有のものだからからこそ、地域の外で固有の価値を生む。それが「クール」なのである。それは、多くの場合、その地方では、ありふれたものであり、もしかすると、地元の人にとっては、迷惑なものかもしれないのだが。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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