教育と知識ギャップ

今、羽田空港にいる。土曜日に羽田空港で飛行機を降りて、まだ、60時間しかたっていない。9月の後半からの2か月間で4往復は考えていたより、体に負担がかかる。しかし、今回は「がん患者さんや家族のために何かができれば」と思って東京にやってきた。最後のパネルディスカッションで、話がうまくかみ合っていないような感じがしたので、本当に私の参加したことが、お役に立ったのかどうか、全く自信はない。

会場にはがん患者さんや家族、医療関係者、企業、そしてメディアの方々がいたようだ。このような場で話をするのは非常に難しい。なぜならば、がんという病気や治療法に対する知識に大きな幅があるからだ。特に、世界で最先端の方向を紹介するのは、基礎知識のばらつきが大きく、最善を尽くしても、内容をすべての方に理解していただくことは、ほぼ不可能だといつも感じている。まだまだ、プロ意識が足らないのだろう。案の定、私の部下の両親が参加していたそうだが、「中村先生の話は難しくてよくわからなかった」との印象を漏らしていたとのことだった。少々がっくりしたが、自分のプレゼンする力の未熟さを反省しなければ!

しかし、会場でも話題になったように、知識ギャップは、患者さん・家族と医療関係者だけでなく、医療関係者と研究者、専門以外の医師と最先端治療を提供している医師間などでも、その狭間がおおきくなってきている。このようなギャップを埋めていくことは、医療現場で患者さんが医師の説明を理解する上で不可欠だ。説明を受けた上で、治療法の選択を患者さんに委ねても、医師の説明がワンパターンで、患者さん側の基礎知識が不十分だと、患者さん側に大きな混乱が生じてしまう。同じ知識を同じレベルで同じ言葉で共有できてこそ、同等の立場で議論をしたうえで、患者さんは治療法を「真の意味で自分で判断する」ことになる。これは、現在の医療現場でのフラストレーションの低減にも、医療の発展にも絶対的に必要なことだである。

がんが遺伝子の異常で起こっていることを理解している高校生の割合は、日本の数字が、米国の数字よりかなり低い。遺伝子・DNA・ゲノムはがんを知るうえで不可欠だが、日本の教育は旧態然としている。「遺伝病は差別につながる」ことを大きな理由として、教育の現場では遺伝病・遺伝子に触れることを避けてきた。病気を遺伝子レベルで語る時代にあまりにも遅れたシステムだ。これで、将来、医学を担う芽が育ってくるはずもない。そんなことを考えながら、自分はこの集会で何ができるのか問い続けていた。「患者さんに最後まで、新しい進歩を信じて、希望を与えるために、そして、がんを克服するために皆の力の結集を訴えたかった」「国に何かをお願いするのではなく、自分たちでつかみ取っていくことが必要だ」と言いたかったのだが、なんだか、独りよがりで叫んでいるような気がして落ち着かなかった。

しかし、帰る直前、がん対策基本法の成立に尽力された議員の遺族が、「標準法をして、それが終われば、ベルトコンベアに乗せてポスピスに送る。議員はそうなることを最後まで心配していました。」と涙ぐんだ目で私に言われた一言で救われた。この言葉を聞けただけで、東京に来た甲斐がある。

そうだ、私の役割は「がん患者さんと家族に、生きる希望を提供し、笑顔を取り戻す」。それしかないのだ。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年11月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。