衆議院議員の立場を尊重するなら、解散権の制約は当然

早川 忠孝

私は、先の衆議院解散は解散の大義を欠くもので、ああいう、モリカケ追及を免れるための恣意的な解散は二度と認めるべきではない、と考えている。

今回の解散の違憲性を争っても次の総選挙までには結論が出ないだろうから私自身は何もしないが、そういう議論が巻き起こって憲法改正の発議に結び付けがありがたいな、ぐらいな感覚はある。

内閣による衆議院の解散権なるものは憲法のどこにも明記されていないことは、皆さんご承知のはずである。

憲法に明記されていないことは一切やってはいけない、とまでは言わないが、内閣不信任決議案の可決に準じるような事態がないのに政権の都合で衆議院を解散するのは解散権の恣意的発動、解散権の濫用には当たるだろう、というのが私の認識である。

戦後史を紐解くとずいぶん解散権濫用のような解散があるので、内閣の衆議院解散権は一つの憲法習律として確立しているから、違憲ではない、という反論がなされるだろうから、私自身はこういう議論に深入りするつもりはない。

しかし、個々の衆議院議員の立場からすれば、内閣による恣意的な解散権の発動だけは阻止したくなるのは自然だろうと思っている。

憲法の改正を発議するのであれば、解散権の発動については一定の制約を課したい、というのが、与野党を問わず、現職の衆議院議員の方々の真意ではなかろうか。

大した理由もないのに総理が衆議院の解散を決断すれば、内閣もこれに従わざるを得なくなり、すべての衆議院議員は国会で解散詔書が読み上げられた瞬間にその地位を失う、というのはずいぶんドラスティックなものである。

衆議院議員がその身分を失えば、その議員の公設秘書3人も同時に失職する、というのだから、如何に内閣の解散権の発動が強力なものか、この一事で明らかだろう。

国権の最高機関と位置付けられている国会の一葉を担う衆議院議員の身分が実はこんなにも軽いのか、と驚くほどである。

三権分立、司法、立法、行政の間でチェックアンドバランスを図っているのが日本の憲法だと教えられてきたが、実際の運用では内閣の解散権を含め、内閣の権能が国会よりも強過ぎるところがある。

どれだけの人がそのことに気付いておられるか分からないが、いつか国会議員の間から叛旗が揚がってもおかしくないぞ、というのが私の感想である。

今朝の毎日新聞は、自民党の国会議員の間からも解散権の制約について言及する声が上がり始めた、と書いていたようだが、まあ、当然だろう。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年12月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。