人間関係は賢く見せるより、バカにされている方が得をする

黒坂 岳央

こんにちは!肥後庵の黒坂です。

今年の4月から法人さまとライター契約を結び、記事を書くようになって気をつけていることがあります。それは「絶対に嫉妬心を抱かせない」ということです。嫉妬心はガソリンのようなもの。絶対に火をつけてはいけないと心の底から思っています。知ってか知らずか、私は昔から自分がバカっぽく振る舞い、周囲から「バカだなー!」と笑ってもらえるのが心地良いと思ってきたので、これまでこの嫉妬心の業火に焼かされた経験はありません。

周囲の話や歴史上の人物が残した言葉に嫉妬心の恐ろしさが現れています。

夏目漱石「善人はいきなり悪人になる」

夏目漱石は人の心の深淵を覗き込み、筆を走らせ小説に昇華させたことで名を馳せた人物です。彼は2017年も終わろうとしている情報化社会を生きる私たちを「ハッ」とさせるようなあまりにも鋭い言葉を残しています。

平生はみんな善人なんです。

少なくともみんな普通の人間なんです。

それが、いざといふ間際に、

急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。

だから油断が出来ないんです。

引用元:夏目漱石「こころ」より

…これどう思いますか?私は初めてこの一文を見た時、思わずつばをごくりと飲み込んでしまいました。一語一語ワーディングのチョイスが的確で、迫力のある一文だと思いませんか?本当にこの通りだと私は思います。「人は本質的にはみんな善人である」と私は心の底から性善説を信じています。長男が生まれ、赤ちゃんの屈託のない笑顔を見ていると、「生まれつきの悪人なんて絶対にいない」とそう思うのです。

しかし、成長の過程で教育、環境などで社会へ適合が出来ずに悪人と呼ばれる要素が蓄積していき、その結果、普段は忍ばせている刃を突然抜いて襲いかかるのだと思います。仕事や人間関係で苦しむ人が突発的に自殺してしまうのも、この刃を他人ではなく自分に向けてしまった結果なわけで「突然、善人が悪人に変わる」というのは私もあなたも全員に言えることだと思います。

成功を妬んで生まれた嫉妬のエネルギーは恐ろしい

今年の夏、富良野のメロン業者に除草剤がまかれるという恐ろしい事件が発生しました。この記事を書いている現時点で犯人は捕まっておらず、外部犯か?内部犯か?それはわからないものの、私は怨恨の線が濃厚であると見ています。被害者は農協を抜けて努力してメロンを栽培し、自身のビジネスを成功裏に導いています。何者かがその成功に嫉妬して起こした犯行ではないかと考えています。

また、弁護士、作家として活躍されている荘司 雅彦さんはアゴラさんの記事で嫉妬の事例を次のように取り上げています。

あるママ友の息子が第一志望のA中学に合格しました。別のママ友の息子は残念ながらA中学に合格できませんでした。落ちた息子の母親は、合格した息子の母親のフリをしてA中学に電話をして「入学辞退」を伝えたそうです。嫉妬に狂った母親としては、同じママ友の息子がA中学に入学するのが我慢ならなかったのです。

引用元:アゴラ 言論プラットフォーム「受験生の“ママ友”には入ってはいけない!」

メロン事件、ママ友の事例が示す通り、普段は大人しく、無気力に見える人も成功を妬み、嫉妬に狂い、足を引っ張る時のエネルギーは凄まじいものです。本人の気質というより、これはおそらく本能的なものです。輝かしい成功者を見て、「なぜ自分は?」と考えるとともに自分の人生を否定されているように思えてしまうのでしょう。足を引っ張って成功者を陥れるのは、いわば自分の人生の肯定です。「自分の人生もうまくいかなかった。同じことを味あわせてやれ」と。そうすることで、溜飲を下げ、自身の人生の肯定感を得るものと考えます。

利口に見せるより、ちょっとバカに見せておいた方がいい

東大出身の友人は「学歴のことを言うと、嫌味をいわれたり嫌な顔をする人がいる。聞かれるまで学歴のことは言わないようにしている」といっていました。私は彼の悩みを理解できるつもりです。私は会社員をしている頃、努力して入社したことが嬉しくて吹聴していた時に「あまり調子に乗るな。いつまでも安泰というわけでもないのに」と言われたことがあります。その瞬間はなぜそのような事を言うのか理解できませんでしたが、今ではその意味が分かります。そう、彼は嫉妬していたのです。

私は自慢をしたわけではなく、「何十社も書類選考でダメで、ようやく決まったから嬉しい」というつもりでしたが、こちらの想像もしないような「自慢」に取られてしまったようです。

以降、私は気をつけるようになりました。積極的に成功や利口をひけらかしてプラスになることはありません。招かざる嫉妬により、大変な損害を被るリスクをはらんでしまうだけです。賢さは仕事の成果や顧客の評価で見せてやればいいだけのこと。人にはちょっとバカに見せておくくらいがちょうどいいのです。