広島高裁で伊方原発差し止めの仮処分決定が下されました。
家人に「この裁判長はもしかしたら定年間近なのかもしれないな~」と言っていたら、今朝(14日)の新聞を見てビックリ。
裁判長が今月12月に定年退官すると報じられていました。
私が家人に「定年退官間近なのかもしれないな~」と漏らした理由は、次のとおりです。
まず、これ以上の出世はないので最高裁の顔色を伺う必要がなく、まさに自らの「良心」に従った判断ができます。
つぎに、多くの裁判官は定年後の第二の人生を考えています。
条件のいい公証人の席が空いたことから、定年前にサッサと辞めてしまった裁判官もいました。
一昔前であれば、長年の裁判官経験を活かして弁護士に転じれば、食っていくのに困ることはありませんでした。
そもそも、どんな若手でも「食っていける」のが弁護士という職業だったのです。
小売業のように仕入れがいらないので経費は人件費と家賃くらい。
医院のように最新設備も不要です。弁護士数が少なかったので、真面目にやっていればそこそこ依頼者もありました(不真面目できちんと仕事をせず、評判の悪い弁護士でさえ「食っていける」時代でした)。
ところが、弁護士大増員となった昨今、裁判官から弁護士に転じるには大いに不安があると推測されます。
同年輩の弁護士のように、長年培った人間関係や依頼者もいません。
どうやって事務所を運営していくのかについても、全くの素人です。
昨今の若手弁護士と同じような苦労をしなければならないと思うと、ゾッとする人がたくさんいるはずです。
昨今は、簡裁判事に転じる人も増えているそうです。
簡易裁判所は、複雑な事案をあまり扱わないので、事務手続きに長けた裁判所書記官の人たちがなることがほとんどでした(20年くらい前は)。
事務手続きに関しては、司法試験に合格したキャリア裁判官よりも書記官の方が数段上なので、まさに適材適所だったと私は考えています。
キャリア裁判官が(従来はほとんどなかった)簡裁判事に転じるのは、安定した収入と地位が得られるからでしょう。
その背景には、弁護士に転じることへの不安が大きいのではないかと推測されます。
このように、定年後の不安が増してくると、「歴史的な判断を下した裁判官として著名になっておきたい」「人気商売に転じた時のことを考えれば、多くの人たちを敵に回したくない」と考えても、あながち不思議ではありません。
「多くの人たちを敵に回したくない」という気持ちは、若い裁判官でも同じです。
国賠訴訟などは、一方は国庫という懐の痛まないお金、他方はたくさんの原告個々人、後者を救済したほうが気分がいいし、恨みを買うことはありません。
このように、人間としてのヴァイアスから逃れられない裁判官が公平かつ正確な判決を下すのには無理があります。
いっそ、AIに職責を譲ったほうが公正な裁判が期待できるものと私は思っています。
いずれにしても、(以上の推測のように)司法制度改革が重大案件の判決や決定にまで影響を及ぼしたのだとしたら、アメリカかぶれの改革者たちの責任は計り知れないものがあります。
歪んでしまった今の司法制度、早急に見直しを求めたいと思います。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年12月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。