中国メディア界の開拓者として知られる范長江が著した『中国的西北角』の邦訳初版『中国の西北角』(松枝茂夫訳、改造社、1938年)がこのほど、范長江の故郷、四川省内江市にある范長江記念館に収蔵された。私が大学内の先生に頼まれで探し、内山書店で見つけて購入した。ひょんなことから私が寄贈者となり、予想もしない反響があった。ささいなことが、実は、糸で結びついた深い縁のなせるわざであることを思い知らされることがある。
范長江についてはこれまでブログで詳しく書いた。(「中国人記者が1935年に書いた現地ルポ『中国の西北角』)
『中国的西北角』は、范長江が1935年から36年にかけ、ベールに包まれていた中国の四川から甘粛、陝西、青海を含む中国西北部を10か月をかけて歩き、『大公報』紙上に連載したものをまとめたものだ。1936年8月に中国で出版され、翌年6月まで計8版を重ねる好評を博した。中国での出版から1年半後の38年1月、邦訳が出され、1983年、筑摩叢書から再刊された。私は83年版の邦訳を読んでいたので、38年の初版にはことさら関心を持っていなかった。ただ、范長江は、汕頭大学新聞学院の范東昇院長の父でもあるので、その人物自身については学内でしばしば話題になる。
今夏、学内のベテラン教授が学生を率い、『中国の西北角』にある范長江の旅程を再訪する企画を行った。その発表会が11月13日、学部内であり、私も興味をもって参加した。その際、83年版の邦訳を持参し、発表会の感想とともに参加者に紹介した。すると数日後、その教授から「初版の38年版を入手できないか。記念館が強い関心を持っている」と話を持ちかけられた。私は半信半疑だったが、調べてみると、内山書店に一冊だけあった。
12月初め、所用でちょうど一時帰国したので、その一冊を購入して持って帰った。80年前の古本と思えないほど、キズや汚れがなく、大切に保管されてきたことがわかった。扉にはもとの蔵書者が残したと思われる丸印が押してあり、奥付には「昭和十三年一月十七日印刷 昭和十三年一月二十日発行」「定価一円七十銭」と書かれている。
大学に戻ったのが12月5日。2日後の7日、依頼した教授に渡す前に、范院長に一声かけたところ、「ちょうど9日、記念館に行くので、その時にお持っていきたい」とのことだった。院長はかなり興奮し、本を大事に広げながら、巻頭の写真が中国に残っている原本よりも鮮明に保存されていること、地図も正確に写し取られていることに驚いていた。私に本を持たせ、一緒に記念写真を撮るほどだった。
范長江はもともとは国民党系の『大公報』記者だったが、1939年、周恩来の紹介で共産党に入党。国共内戦では従軍記者として活躍し、建国後は『人民日報』社長などを歴任した。文化大革命期は「反共」の濡れ衣を着せられ、河南省の農村に送られたが、70年、農園の井戸で死んでいるのが発見された。文革後の1978年、名誉回復された。苦難の最期を迎えた父親の業績を残したいと望む子の心境を思えば、院長の興奮も痛いほどわかる。私は、院長のことはよく知っているつもりでいたが、一冊の本が持つ重みを十分理解していなかった。
(続く)
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年12月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。